有給の話から、働くということを考えた(結城浩「ワークスタイル・ライフスタイル」)

こんにちは、結城浩です。

先日、「有給」について思ったことをちょっとツイートしたら、思いがけなくもたくさんRTやお気に入りされて、なんと結城のツイート第三位のベストツイートになってしまいました。

それが、このツイートです。

「有給を取りやすい制度を設計せよ」ではなく「誰がいつ休みをいきなり取ってもきちんと回る組織を設計せよ」が正しい問題の立て方なのではないか。

https://twitter.com/hyuki/status/517836104368525312

リプライを見ると、とても多くの人が賛同してくださっていてびっくりです。

自分としてもそんなに大きな反響になるとは思っていませんでした。この話から考えたことを少し書いてみます。

そもそも、どうして有給の話をツイートしたかというと、「有給が取りにくいので、取りやすくするように制度を変えましょう」という趣旨のツイートを見かけたから。

結城はあまり有給のシステムには詳しくないのですが、基本的に有給は権利として取得可能なのだと理解しています。なので、有給を取りにくいとしたらそれは制度の問題というよりは意識の問題、もしくは組織の問題のように感じました

なので必要以上に制度を複雑にするのではなく、好きな日に「今日は休みます」と連絡して休み、後から「先日の休みは有給にします」としてよいのだということが、徹底されればいいのではないでしょうか。

有給を取りにくいというのは、上司や周りに気を遣うからと想像します。権利としてあるけれど、それを行使しすぎるとにらまれるとか、うまく言語化されない圧力があるとか、そういうことがありそうですね。

「有給を好きな日に取ってもよい」としたときに予想される問題は、いきなり休まれると、

 「え、あの人今日いないの? 困ったなあ」

となってしまうことだと思います。でも、それはほんとうに問題なんでしょうか。

働いている人は人間なんだから病気もするでしょうし、どうしても出社できないこともあるでしょう。もしもある日、急に有給を取られると困るなら「病気になることはできない」ということになってしまいます。

つまり「急に人がいなくなったときでも回る組織」が作れているかどうか、がポイントなんだと思います。

有給を取りにくいのなら「有給を取りやすい制度を設計せよ」ではなく、「誰がいつ休みをいきなり取ってもきちんと回る組織を設計せよ」が正しい問題の立て方なのではないでしょうか。

結城はそんなふうに(いささか素朴に)考えたのです。

 * * *

ここで「誰がいつ休みをいきなり取っても」の部分はゼロイチで考えないほうがいいですね。働いている人全員がすべての有給をまとめて取得しても(つまりごっそり人がいなくなっても)大丈夫な組織なんて、ちょっと考えにくいですから。そんな極論を持ち出しても意味はありません。

ソフトウェア開発には「トラックナンバー」という概念があります。これは少しばかりぶっそうな概念で、「プロジェクトメンバーのうち、何人が同時にトラックにはねられたらプロジェクトが頓挫するか」という最少人数のことです。

たとえば、あるプロジェクトで、「ぜったいにこの人がいなければ困る。他の人が何人いようともだめ」という人がいたとしましょう。そのとき、そのプロジェクトのトラックナンバーは「1」になります。その人ひとりがトラックにはねられたらプロジェクトは頓挫するからです。

トラックナンバーが小さければ小さいほど、そのプロジェクトはリスクにさらされているといえます。

ちなみに、似た概念でハネムーンナンバーというものがありますが、定義は異なります。

さて。

たとえばある部署で、同時に有給を取る人が多ければ困難は増えるでしょうし、それが突然起きたなら、予測できない分とんでもないことになります。でも、もしも「一人でも欠けたら一日の業務が継続できない」としたら、有給の取得云々より以前に、組織に大きな問題があるといえるでしょう。

通常は「一人欠けたくらいならやりくりできるが、二人だとちょっとつらい。同時に三人いなくなったらさすがに一日の業務が継続できない」のように、「同時に何人までなら休める」という数があるはずです。 その数が大きければ、その組織は人が減るというリスクに強いといえます。先ほど「幅がある」といったのはそういう意味ですね。

「誰が休んでもいいように組織を作る」ことを徹底すると、属人性がどんどん排除されていき、労働者は完全に交換可能な歯車になると考えてしまいそうになるかもしれません。ある意味では確かにそうです。組織をうまく構成して「自分がいなくても回る組織」ができたとしましょう。それはいわば「誰でもリストラ可能な状況」を作るようなものです。そう考えると「自分がいなくても回る組織」というのを嫌がる個人もいるでしょう。それは理解できます。

つまり「自分が有給をいつでも取れる状況」というのは、「自分はリストラ可能だ」と主張しているようなものともいえるからです。まあ、これも極論といえば極論なんですけれどね。

 ・個人は、自分が組織に必要であると認めさせたい。「あなたは組織に必須の存在です」と言わせたい。



 ・組織は、リスク回避のために、各個人が居なくなっても大丈夫な状態を作りたい。「あなたは組織に必須の存在ではない」と言いたい。

その点で個人と組織は対立していることになります。

そう考えていくと、個人にとって良い戦略は、「自分が開拓した技術やノウハウは自分がいなくても回るように人に渡しつつ、自分にしかできなくて組織の役に立つことを新たに開拓する」なのかもしれません。このような人は本当に有能であり、賢い組織ならこういうことができる人を大事にするはずともいえます。

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少し話はずれますが、これからの社会で「働き方」というものは、さらに多様になっていくでしょう。つまり、人生において「働くこと」をどのように位置づけるかは、人によって大きく変わるという意味です。

すべてを投げ打つように働く人、お金のためと割り切る人、とにかく自分の時間を優先する人など、多様な働き方が生まれます。願わくは、多様な労働観を許容する社会であってほしいものです。

と考えてきたけれど、ふと我に返れば私はフリーで働いていて、有給もなく、組織にも属していません。ただ、普段から

 「働くというのはどういうことなんだろう

とは思っています。人生で「働く」というのは大きな意味を持っています。もちろんお金のために割り切って働くという場合もあるでしょうが、それだけだと考えるのはもったいない話ですね。

働く時間というのは、人生の大きな割合を占め、しかも一日のうちのもっとも良い時間を使うことが多いものです。深く学び、広い経験を積む機会でもあります。そこをどのような活動で満たすのかは十分に考える必要があります。

仕事を選ぶことができず、どうしても割り切らざるを得ない場合もありますが、もしも何らかの意味で仕事を「選ぶ」チャンスが来たときに、どのような仕事をするのか、あるいはどのような仕事をしないのか。それはふだんから考えておく価値がある問題です。

働くのはもちろん生活のため。でも、決してそれだけではありません。自分と家族の人生を豊かにし、少しでも誰かの役に立つような、そういう仕事をしたいと願っています。

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あなたは「働くということ」をどんなふうに考えていますか。

結城メルマガVol.132より)