mine 始めます。

仕事で悩むすべてのビジネスパーソンに、勇気を持ってもらいたい。

生みの苦しみを感じている商品開発の担当者に、少しでもヒントを与えたい。

将来、モノ作りを目指す若い人に、売れるモノをどう作るのか、知ってもらいたい。

やがて社会に出る高校生や大学生に、社会に出る前の心構えを伝えたい。

そんな思いにかられ、私の経験が少しでもお役に立てられればと思い、筆を執ることにしました。

申し遅れましたが、私の名前は鈴木政次。赤城乳業株式会社という会社の監査役をしています。

会社では「鬼のスーさん」で知られています(笑)。仕事に対しては、妥協せず、厳しく向き合っているからでしょう。

あるいは、「『ガリガリ君』の開発者、育ての親」と呼ぶ人もいます。

たしかに、私は『ガリガリ君』の商品開発に初期から携わり、たくさん売れるように育てもしました。ですが、今や多くの人が『ガリガリ君』の製造に関わっていますから、私だけではなく、赤城乳業の社員みんなで開発している商品、だと思っています。

私が大学を卒業して働き始めたのは、1970年。世の中は高度成長期を迎えていました。新卒で入ったのが、赤城乳業でした。

赤城乳業は、埼玉県深谷市に本社があります。冷菓(=アイス)の製造を開始したのは、1949年。当時の井上栄一社長(故人)は、「味覚の天才」といわれ、1964年に、『赤城しぐれ』というかき氷のアイスを製造販売し、これが大ヒットしました。

その6年後に私が入社することになるのですが、当時の赤城乳業は、『赤城しぐれ』を商品の柱とし、年間の売上が20数億円規模の会社でした。ヒット商品はあるものの、いわゆる中小企業です。私は、大企業に入って、端はじっこで頑張るより、小さな会社に入ってトップを目指しながら、会社を大きくすることに貢献したいと考えていました。

赤城乳業に入った私は、微力ながら一生懸命に働いて、ヒット商品を生み出し、「赤城乳業を年間売上500億円規模の会社にする」という夢を持ちました。

ですが、現実は厳しく、多くの苦労が待っていました。

入社1年目に配属されたのは、商品開発部。以来、長い間、アイスの新商品の開発を手がけることになります。

コーヒーを固めた『ブラジル』というアイスに、チョコアイスの『BLACKEY』(『BLACK』の前身)、みかんを固めた『みかんチョ』(『ガツン、とみかん』の前身)……。

アイデアをどんどんアイスにしました。

でも、なかなか大ヒット商品を開発することはできませんでした。むしろ、私が作ったアイスの9割以上は、ほとんど売れない失敗作。

上司には、怒られっぱなし。試作したアイスがあまりにもおいしくなかったため、当時の井上栄一社長が窓の外に投げ捨ててしまったこともありました。何度も、何度も、落ち込みました。

でも、会社を辞めようと思ったことはありません。気持ちを立て直して、商品を改善すると、上司から褒められたり、それがごくまれにスマッシュヒットにつながることもあったからです。

新商品の開発は、苦しい反面、楽しさもたくさんある。そう思えるようになったのです。

そんな中、オイルショックが起こり、会社が大ピンチになりました。

物価が上がって、材料費が高騰。作っても、作っても、売れれば赤字になるばかり。やむなくアイスの価格を値上げすると、今度は、まったく売れなくなってしまったのです。

工場は開店休業状態。毎朝清掃するだけで、機械はほとんど動いていませんでした。

「赤城乳業はつぶれる。ヤバイ」

私は本気で思いました。1979年のことです。

商品開発部のリーダーになっていた私は、このピンチを切り抜けるための新商品作りを命じられました。「『赤城しぐれ』に匹敵するような、会社の柱となる商品を開発しろ」と言われたのです。

そこで考えたのが、片手で食べられるかき氷のアイス『ガリガリ君』でした。

当時、アイス業界では、商品のコンセプトを考えてアイスを作ることは珍しいことでしたが、

• おいしい

• でかい

• 安い

• 当たり付

をコンセプトに『ガリガリ君』開発に取り掛かりました。できあがるまでに2年かかりました。

画期的なアイスでしたが、最初は苦戦しました。販売する場所が少なかったのです。

『ガリガリ君』が生まれた当時、お菓子やアイスは、街角の駄菓子屋などの小売店で買うのが一般的でした。お店には、アイスを置く冷凍のアイスストッカーが設置されていましたが、「雪印」「明治」「森永」「ロッテ」といった大手のメーカーが名を連ねており、ほぼ独占状態。

赤城乳業が新たにアイスストッカーを設置する場所はなく、また、その力もありませんでした。しかたなく、他社のアイスストッカーの隅に『ガリガリ君』を置かせてもらっていたのです。置き場所がないわけですから、作っても売れないのは当たり前です。

「この状況を打開しないと、ヤバイ」

私は、当時の専務井上秀樹(現会長。経営の天才で、先見性に優れたすばらしい人です)の指導のもと、徐々に増え始めていたコンビニエンスストア(以下、コンビニ)に販路を見みい出だすことにしました。これが、大成功。『ガリガリ君』の売上本数は

10年で3倍、1000万本も売れる商品になりました。

子どもたちのために、値段は上げたくなかったので、価格を抑えても儲けが出るように、工場にアイスの新しい製造設備を入れて、量産体制も整えました。商品は〝時間の缶詰〞だと思います。1時間にどれだけ多く作れるかの勝負でした。

その後も、少しずつパッケージのデザインを変えるなど工夫を重ねてきた結果、2016年現在、『ガリガリ君』は、年間で4億本売れています。

『ガリガリ君』以外にも、赤城乳業でヒット商品といわれる『ガツン、とみかん』や『ワッフルコーン(大手コンビニPB)』などの開発にも関わってきました。

入社から46年。新入社員の時に抱いた、「赤城乳業を年間売上500億円の会社にする」

という夢はまもなく叶いそうです。

赤城乳業は小さな会社でしたので、46年の間、私は商品開発のみにとどまらず、製造も、開発営業も、マーケティングも、経理も、組織作りも、総務以外の会社の業務はひと通りやってきました。

長年、会社にいたのですから、いいことばかりではなく、大変なこともたくさんありま

した。リアルな経験から見えてきたのは、「仕事の本質」です。

「仕事とは何か」

「どういった心構えで取り組めばいいのか」

「どうすれば仕事が楽しくなるのか」

こうした本質的なことは、普遍です。本質がわかっていると、仕事がだいぶ楽になり、長く続けられるようになると思います。「本質」は、仕事をする上で、とても大切なものです。思えば『ガリガリ君』も、「ヒット商品の本質」を押さえたアイスだからこそ、ロングセラーであり続けているのでしょう。

本書では、私の実体験に基づきながら、「仕事の本質」や「ヒット商品の本質」などについてお伝えしていきます。

特に、やがて社会に出る高校生や大学生には、「仕事の本質」について知っておいてほしいと思っています。社会に出ることに対する不安や恐怖感をたくさん持っているかもしれませんが、実際はそう怖いものでもありません。社会に出るとどんなことが起こるのか、あらかじめ知っておくことができれば恐れることはありません。

もし、やかんが熱いと知っていれば、たとえ触っても、すぐに手を引っ込める準備ができているから、やけどをしないものです。

せっかく会社に入ったのに、「こんなはずじゃなかった」と苦労して、傷ついて、会社に行けなくなったり、うつ状態になったりなど、してほしくありません。

本書で心の準備をしておいてほしい。

苦しい時には「赤城乳業のスーさんが、仕事のこと書いてたな」と本書を取り出して読んでもらえたら、うれしいです。

仕事で悩むすべてのビジネスパーソンには、「壁にぶつかった時、どうすればいいのか」

「部下として、上司として、どうあるべきか」などについてヒントを提示していきたいと思います。勇気を持って仕事に取り組み、仕事を、人生を、楽しんでほしい。

生みの苦しみを感じている商品開発の担当者には、私が商品開発の現場で、考え、実践してきたことをあますことなくお伝えします。実体験に基づき、すでに検証も済んでいることばかりですので、きっと、役に立てていただけると思います。

コツさえわかっていれば、ヒット商品も生まれやすくなります。

私の経験が、少しでもみなさんの役に立ち、「仕事って楽しそうだ」「前向きに仕事ができるようになった」「ヒット商品の作り方がわかった」と思っていただければ、これ以上うれしいことはありません。

ひとりでも多くの方が、笑顔になるように祈っています。