女王様のご生還 VOL.114 中村うさぎ

昔から「自己憐憫」が嫌いである。

「私ってかわいそう」と思っている人に限って、他人の痛みにはものすごく鈍感だったりする気がして、なんだか嫌だなぁと思っていたのだ。

今なら、それが「ナルシシズム」だから嫌だったんだなとわかるが、当時はとにかく気持ち悪いとだけ感じていた。



「私はかわいそう」というのは、「私は被害者」という感覚である。

自分が被害者だと思い込んでいる人には、「だが、別の局面では、私も誰かにとっては加害者なのかもしれない」という視点が一切ない。

実際には、100%の被害者も加害者もこの世には存在しなくて、我々は誰かの被害者であると同時に別の誰かにとっての加害者なのだ。

「かわいそうな人」は、他の誰かを「かわいそうな人」にしている。

誰にも迷惑かけず、誰をも傷つけずに生きていける人などいるだろうか。

マザー・テレサだってガンジーだって、いろんな人を傷つけながら生きていたと思うぞ。



そんなわけで私は昔から「自己憐憫」だけには気をつけようと思って生きてきたのだが、さすがに身体が不自由になったりすると、ついつい「私かわいそう」と思わずにはいられない。

でもまあ、これまでさんざん人に迷惑かけたり傷つけたりして、いわゆる「加害者」的な生き方をしてきたのだから、そのツケが回ってきたのかもしれないと考え直し、「これでプラマイゼロになりました」と思うことにした。

要するに「バチが当たった」ってことですね(苦笑)。



私が病気になった時、世間は「それ見たことか」と思ったらしい。

好き放題に生きてると、いつかそのツケが回って来るんだよ、と。

確かに好き放題生きて来たし買い物依存やホスト狂いの折には周囲に金銭的な迷惑をかけまくっていたので、その論調に対しても「ごもっとも」としか言いようがない。

ただ、金銭的な迷惑をかけた件で「因果応報」と言われるのなら話はわかるが、「整形なんかしてるからだ」などと言われる筋合いはない。

私が整形したからって、誰かに迷惑かけた?

美容整形に関しては、私、被害者でも加害者でもないんだけど?



このように、他者を裁く人の一部は、単なる己の倫理観を押し付けているに過ぎない。

被害者の存在しない行為を「不道徳」だなどと批判するのは、これまたある種の「加害」であろう。

君の正義を押し付けられて迷惑な人もいるのだよ。



私の整形やデリヘルを「不道徳」とみなす人は、単に不快なだけである。

べつに私に迷惑かけられたわけでも被害をこうむったわけでもなかろう。

他人の「不倫」に目くじら立てる人たちも同様だ。

不倫によって被害をこうむった家族が怒るのならともかく、またその家族の苦しみを目の当たりにしている友人知人たちが義憤を抱くのならともかく、何の関係もない人たちが会ったこともない有名人の不倫に憤る意味がわからない。

なんで、みんな、そんなに苛烈に怒れるの?

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