女王様のご生還 VOL.55 中村うさぎ

小学生の頃、爪を噛む癖があって母から激しく叱責された。

どんなに怒られても、爪噛みは治らない。私だって噛みたくて噛んでるわけではないのだ。どうにも我慢できなくて、気がついたら爪を噛んでる。おかげで爪はギザギザで汚くて、同級生に見られるのが恥ずかしく、自分でも止めたいのだけど止められない。

そのうち、爪噛みに加えてさらに髪舐め(自分の髪の毛の先をしゃぶる)が始まり、これまた厳しくなじられたが、一向に治らなかった。中学生くらいになっていつの間にか治ったけど、その頃から意味もなく不安にかられて「どうしよう、どうしよう」と呟きながら、檻の中のライオンみたいに歩き回るようになった。「どうしよう」と口では言ってるが、具体的に何か解決すべき問題があったわけではない。ただ、そわそわと落ち着かなくて、そうせずにはいられない。

幸い、この癖は自分の部屋でやっていたので、親には気づかれず、爪噛みや髪舐めみたいに見咎められて怒られることもなかった。が、自分でも「変だ」と思っていた。私は何がこんなに心配なんだろう?



今にして思えば、爪噛みも髪舐めも部屋の中での徘徊も、すべては「不安神経症」の一種だったのだろうと推察できる。母も娘の奇行を叱りつけるばかりではなく、そのあたりに思い至って児童相談所でもどこでも連れて行って欲しかったが、彼女にはそもそも心理学や行動学の知識などないので、「また爪噛んでる! やめなさい! そんなもの美味しいのっ?」などと見当違いの怒り方をするしかなかったのである。

おそらく、母もまた不安だったのだ。初めての子育てで何か失敗して、父方の親戚から「子育てがなってない」と言われるのを異様に恐れていた。とにかく昔から人の目を気にするタイプだったから、娘を完璧に育てようと、精一杯気を張って頑張っていたのだろう。なのに娘は爪を噛んだり髪をしゃぶったりと、人の目にみっともなく映る奇癖に走る。母の苛立ちはいかばかりであったろうか。



母の話によると、私は非常に育てにくい子であったらしい。そもそも生まれた時から未熟児すれすれの小ささで、身体も弱く、ミルクを一日に3ccしか飲まなかったという。無事に育つか心配で医者に相談したが「3cc? そんなわけないでしょう」と一笑にふされたそうだ、

幼稚園くらいになっても食が細く、何も食べたがらない。その当時、母親が私に食事をさせるために編み出した手法は、なんとも斬新なものであった。まず口の中に食べ物を押し込み、思いっきり頬をひっぱたく。すると私は驚いて口の中の物をごくんと呑み込み、それから「うわーん」と泣き始める。その口を開けた瞬間にすかさず次の食べ物を詰め込み、モゴモゴしている私の頬をまた平手打ちする。すると私はそれを飲み込み、またもや泣こうとして口を開け、母は急いで次の食べ物を……って、それ、ほとんど虐待じゃん(笑)! 近所の奥さんは、私の泣き声が聞こえると、「ああ、また典子ちゃんがご飯食べさせられてる」と思ったそうだ。

食事のたびに頬をひっぱたかれて、よくトラウマにならなかったなと自分で自分に感心する。食事のたびに苦痛を伴うような毎日を幼少期に過ごしてたら、拒食症になってもおかしくなかったろうに、今の私は誰よりも食いしん坊だ。



食事はトラウマにならなかったが、食の細さはその後もずっと続き、小学校に入ると給食の時間がつらかった。「全部食べ終わるまで昼休みなし」いう教師の命令で、みんなが遊んでる時間も教室に残ってボソボソと食べていた。早生まれのせいもあって誰よりも身体が小さく、給食を全部平らげるのは至難の業であった。家では頬を叩かれ、学校では教師に叱られ、そのたびに「戦時中は食べたくても食べ物がなかったんだぞ!」などという言葉でなじられたが、子供心にも本当に意味不明だった。だから何? 私の食の細さと戦時中の食生活の貧しさは関係ないじゃんねぇ。

今でも贅沢してる人に対して「アフリカでは飢えた子どもがいるのに!」などと怒る人たちが苦手だ。世界の貧富の差は問題だが、だからって自分の金で遊んで何が悪いの? 自分だって毎日アフリカの心配してるわけじゃなかろうに。

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