とある番組にレギュラー出演していた頃、打ち合わせ中に共演者のお笑い芸人から「あんたには子供がいないから、子を持つ親の気持ちがわかんないんだよ!」と言われたことがある。
その時の話題は北朝鮮の拉致問題についてであった。
彼が「北朝鮮なんかミサイル撃ち込んで皆殺しにすればいい」と言ったので、「それはまた随分と乱暴な意見じゃないか。北朝鮮に住む人がすべて拉致に関わっているわけじゃなし」と反論したところ、件の言葉を投げつけられたのだ。
確かに私には子供がいないから、子を持つ親の気持ちはわからない。我が子を拉致された親の気持ちなんて、この貧しい想像力を総動員しても到底及ばないだろう。が、だからといって拉致問題について意見を述べる資格がないとも思わない。
ていうか、そんな理屈が通るなら、障害者の気持ちは障害者にしかわからないので健常者が意見を述べたらいかんのか?ゲイの気持ちはゲイにしかわからないので異性愛者には発言の資格がないのか?そんなわけ、あるかい!
だが、この一件が私の心に大きな印象を残したのは、何も彼の発言が愚かで浅はかだったからではない。
その言葉に「子供を産んだこともないくせに、いっちょまえの口をきくな」的な侮蔑を感じ取ったからだ。
これは私の僻みなのかもしれないが、いわゆる「普通」の結婚をして子供を作って普通の家庭を築いている人々の中には、普通じゃない結婚をして子供を産み育てる義務を放棄した私のような女に対して批判的な感情を持つ人が少なからずいるような気がする。
結婚しようがしまいが、子供を持とうが持つまいが、そんなの個々の自由だと思うんだけど、どうやらその人たちの目には私が「重要な義務を果たしていない」と映るようだ。
つくづく不思議である。子供を産み育てるのって国民の義務だったっけ?
もっと昔のこと、まだタクシーでタバコが吸えた時代の話だが、タバコに火をつけた私にタクシーの運転手が咎めるようにこう言った。
「女がタバコ吸っちゃダメだよ。子供産む身体なんだからさ」
ああ~、出たよ出たよ、出ましたよ。女は子供産むのが仕事、みたいな決めつけ。
ウンザリしながら「私は子供産まないから大丈夫です」と答えたら、「そんなことないでしょ。女は子供を産んで初めて一人前になるんだよ」と来た。
なんかもう議論するのも面倒になって「私、子供を産めない身体なんですよ」と言い返したところ(←嘘だけど)、ハッとしてきまり悪そうに押し黙ったので、その後は車内で悠々と煙草を吸いまくってやった。
当時に比べれば、「女は子供産んで初めて一人前」などと言う人はさすがに減ったと思うけど、まだまだ一部に根強く残っているのは確かだろう。
そんなら女が子供を産みたくなるような社会を作れよ、と思うのだが、「母親は完璧であるべし」的な母性神話の信仰者も相変わらず多くて、ちょっとした事で「毒親」などと批判される風潮が強いため、母親業はますます大変になってきているのが現状だ。
母親へのサポートは手薄なくせに母性神話の抑圧ばかりが強い……そんな社会だから、女が子供を産みたがらないんだよ!
完璧な母親なんて存在しない。
どっかで手を抜いたりやり過ぎたり、行き届かなかったり裏目に出たりするのが当たり前だ。
親だってひとりの未熟な人間なんだから、子供の気持ちがわからないのもごくごく普通の事じゃないか。
なのに、やれネグレクトだの過干渉だのと、何かにつけて世間から裁かれる。
そんな光景を目にするたびに、子供産まなくてよかったーと思わずにいられない私なのである。
私は昔から子供が欲しいと思ったことがない。
まず、子供が嫌いだし、育てる自信もないし、自分の遺伝子なんか残したくない。
私の子供に生まれた人は絶対に不幸だと思う。
母親の私が子供より自分を優先するのは目に見えてるから、きっと不満だらけの幼少期を過ごすだろう。
思春期になったら変わり者の母親を恥ずかしく思うだろうし、批判的になるのは間違いない。
その結果、グレてとんでもないろくでなしに育ったら、子供も不幸だし周囲も迷惑するし、取り返しのつかない損害を社会に与えてしまう。
男の子だったらレイプ魔のシリアルキラーになっちゃうかも。
何しろ母親の私が教育に良くないとされてる表現物に肯定的だから、エロや暴力やグロテスクな物に触れる機会がよその家庭より多いもんな。
考えれば考えるほど、とてもじゃないが責任取れないという結論に達するので、やはり私に子育ては無理だ。
みんなが平気で子供産んで育ててるのを見てると勇気あるなぁと感心しちゃう。