認知症が進んで、母が脆い落雁のようにほろほろと崩れていく。
私と父は、それぞれの悔恨と罪悪感を胸に詰まらせながら、為す術もなくその姿を見つめている。
「時々、俺が誰だかわからなくなるんだよな。まぁ、俺ももう慣れたけど」
ぼんやりと座っている母の横顔を見ながら、父が言った。
「不思議そうに俺を見て『あなたは誰?』なんて言うから『おまえの夫だよ』と答えると、首を振って『あなたと結婚した覚えはない』って言うんだ」
「自分が結婚してることも忘れてるのかな?」
「いや、結婚したことは憶えてるみたいなんだよ。『私の夫は中村勝信という人です』って言うんだ。だから『俺がその中村勝信だよ』と言うと、『いや、あなたじゃない』と。俺じゃなきゃ誰なんだよ。なぁ?」
「そういう時、お父さんはどんな気持ちなの? 寂しいの?」
「そりゃ、寂しいに決まってるじゃないか。60年も連れ添ったんだぞ」
「そうだね」
普段は、父が誰だか、母もちゃんとわかっているのだ。
だが時々、ふっと映画の場面が切り変わるように、目の前の父が見知らぬ人になってしまうらしい。
そして母は、不思議の国に迷い込む。
そこには、目の前で夫を名乗る謎の男ではなく、本当の夫が待っているのだろうか。
それは若き日の父なのか、それとも全然別の男か。
父は自分が夫だということを証明すべく、住民票や戸籍謄本まで見せたそうだ。
すると母は父をじっと見て、こう言ったという。
「じゃあ、あなたはずっと家にいなかったんでしょう? 私、あなたを見たことないもの」
「そんなことないよ。そりゃあ俺は商社マンだったから、海外出張とか単身赴任とかで長く家を空けてた時期もあったけど、それ以外はずっと一緒に暮らしてたじゃないか」
「いいえ、あなたはいなかった。今頃になって夫婦だなんて言われても、私はあなたを夫とは思えません」
「それでな」と、父が私に言った。
「お母さんにそう言われた時、俺は急に思い出したんだよ。おまえが中学生の頃に言ったことをな」
「え? 私、何か言ったっけ?」
「おまえが中学生くらいの頃、俺はおまえに訊いたんだ。『将来、どんな男と結婚したい?』ってな。そしたら、おまえは『商社マンだけは嫌だ』って答えた。俺はちょっと驚いて『なんでだよ?』って尋ねたんだ。憶えてるか?」
「いや、全然」
「そしたらな、おまえが俺にこう言ったんだよ。『だって、お母さん、未亡人みたいだもん』ってね」
「ふぅん……」
中学生の自分がそんなことを言ったなんて、まったく記憶にない。
しかし、憶えているシーンがある。
父の帰りを待つ母が、ひとりでダイニングテーブルに向かって、いつまでもいつまでもトランプのカードをめくっていた姿だ。
自室で勉強していた私がダイニングルームに行ってみると、母は憑かれたようにカードを切り、テーブルに並べ、めくり、また並べ……という作業を延々と繰り返していた。
暇なんだな、と思っていた。
彼女がどんな気持ちでカードをめくっているのか、あまり考えたことはなかった。
主婦は試験がなくていいなぁ、などと思っていたかもしれない。
私なら、もし暇だったら本や漫画を読んだり、音楽を聴いたり、いろいろとやりたいことがあるのに、ただただトランプを並べているなんて優雅なもんだ、と。
だが、母の孤独は、なんとなく伝わっていたのだろう。
だから「未亡人みたい」などと言ったのだ。
「俺はあの頃、一生懸命に働いてたんだよ」
「わかってるよ」
「そういう時代だったんだ」
「うん、知ってる」
父は高度成長期の典型的なサラリーマンだった。
家に帰ってきても、会社に魂を置きっぱなしにしているようだった。
私にも、仕事が自分のアイデンティティのほとんどを占めていた時期があるから、よくわかる。
妻をないがしろにしているつもりなど、彼にはなかったろう。
だが、あれから45年も経った今、彼はボケた妻に「あなた誰ですか?」などと言われている。
これは時を超えた復讐なのか。
いや、もちろん母にはそんな自覚はない。