女王様のご生還 VOL.251 中村うさぎ

7月の10日頃から大阪の実家に帰った。

施設に入っている母を見舞うためである。

とはいえ、認知症の進んだ母はもはや私を認識できない。

「ほら、起きなさい。典子が来たよ」

父に揺すぶられて目を開けた母はいぶかしげにこちらを見上げ、

「典子……?」

「おまえの娘だよ」

「……それ、何か美味しいものできるの?」

私は食材かよ!

ダメだ、相変わらずまったく意味不明だ。

典子という名前を聞いても誰かわからないどころか、人間の名前だという認識すらできないらしい。

でもまぁ、忘れられて悲しいとか寂しいとかいう気持ちは全然ない。

彼女にとってこの世の唯一の気がかりは私だっただろうから、むしろ忘れてくれた方が「ああ、ようやく私から解放されたんだね。よかったじゃん」という思いである。

人は死ぬ前にひとつずつ重荷を脱ぎ捨てていく。

私という最大の重荷を降ろせて、さぞかし気が楽になったことだろう。



母を見ていると、認知症も悪くないなと思えてくる。

以前はボケるのが怖くて仕方なかった。

人に迷惑をかけたくないというのもあるが、何より自分が自分でなくなってしまうのが恐ろしかったのだ。

だが考えてみると、人に迷惑をかけると言っても、このような施設に入ればスタッフたちの収入源になるわけだから、べつに罪悪感や気後れを抱く必要はなかろう。

病院に入院しているのと同じだ。

金を払っているんだから堂々と世話してもらえばいいのである。

むしろ自宅で家族に無償で介護される方が申し訳ない。

また、「自分が自分でなくなる恐怖」についても、母を見ていて考えが変わった。

「自分が自分でなくなる事」は、すなわち「自分から解放される事」なのだと悟ったからだ。



我々は皆、「自分」という檻の中に囚われて生きている。

檻の外には大勢の「他者たち」がいて、私と彼らは永遠に隔てられている一方、私は彼らに永遠に絡めとられている。

特に母は他人の目に自分がどう映っているのか気にするタイプだったから、檻を取り囲む他者たちの視線にがんじがらめになって生きてきた。

私に言わせるとそれは地獄に他ならないが、母にとってはそれが「世界」の在り方であり、他者なくして自分という存在の確証を持つ事ができないのであった。

他者に縛られながら他者を必要とし、他者との関係によって自己を獲得しつつもその他者に傷つけられ奪われる人生。

中でもたったひとりの娘である私は、彼女から大いに奪い大いに傷つけたが、その代わりに彼女にとって重要な「生き甲斐」を与え得る唯一の存在であった。

虚弱な未熟児として生まれた娘は彼女の庇護なしには生きられなかったし、そんな我が子を胸に抱いた彼女は必要とされる喜びに満たされ、己の存在意義を初めて明瞭に確信したことだろう。



だが、その娘も長ずるにつれ彼女を必要としなくなり、外の世界で好き放題に生きて彼女を酷く落胆させた。

腹を痛めて産んだ娘も所詮は「他者」であり、かつての一体感や承認感は跡形もなく消え去って、彼女は再び檻の中で独りぼっちになった。

人間にとって最もつらいのは、一度は手にしたものを失う事だ。

我が子が自立して「他者」になる事は避けられぬ事態とはいえ、その分離は彼女にとって身を引き裂かれるような痛みだっただろう。

そのうえ、この娘はとてつもない恩知らずで、彼女の望んだ道を進まなかったどころか、やれ買い物だホストだ美容整形だデリヘルだと世間に顔向けできないような奇行を繰り返し、他者の目を人一倍気にする彼女に赤っ恥をかかせ続ける。

決して自慢の娘ではなかった。

むしろ恥ずかしい娘であった。

人生で最も愛した者が彼女を裏切り、人生で最も深い傷を彼女に負わせたのだ。

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