女王様のご生還 VOL.239 中村うさぎ

施設に入った母の件で、父とド派手な喧嘩をした。



母の施設では基本的に衣食住の世話をしてくれるのだが、その他はオプションで別料金というシステムらしい。

「施設があれこれ別料金サービスを提案して来て、俺から金を絞り取ろうとするんだよ」

電話の向こうの父の声はこのうえなく不機嫌そうだった。

「まったく、嫌になるよ!」

「たとえばどんなサービスがあるの?」

「まぁ、アレだ。月に1回か2回、医者による健康診断とかな」

「え、それは必要じゃない? お母さん、それでなくても弱ってるから、ちょっと風邪ひいただけでも肺炎とかになっちゃうかもだし……」

「必要ないよ!」

語気荒く、父は反論する。

「俺はなぁ、余計な延命治療は必要ないと言ってるんだ! お母さんがかわいそうだよ!」

「健康診断は延命治療じゃないよ。予防措置じゃん。根本から違うでしょ」

「違わないよ! 同じ事だよ!」

「いやいや。延命治療ってのはもう意識もないのにチューブつけたり機械に繋いだりして無理やり生かしてる事でしょ? それは確かに必要ないと私は思うけど、お母さんはまだ意識もあるし、弱ってるとはいえちゃんと生きてるんだから、このうえ別の病気で苦しまないように検診受けるのは必要だと思……」

「必要ない!」

私の言葉を遮り、激昂した様子で声を張り上げる。

「お母さんはもういつ死んでもいいんだよ!」

「それ、本人がそう言ったの?」

「言ってないけど、見てればわかるよ! もう死んだ方が幸せなんだよ!」

「ちょっと待って。お母さんの幸せをお父さんが勝手に決める権利……」

「お母さんはなぁ、もう俺が誰かも覚えてないし、自分がどこにいて何をしてるのかもわかってないんだ! そんな風になったら、生きてても意味ないだろ?」

「意味があるかどうかは他人が決める事じゃ……」

「お母さんにはもう意志も決定権もないんだよ! だから俺が決めてやるんだ! お母さんはな、お母さんは……あれはもう、人間じゃないんだよ!」



危うく携帯電話を手から落としそうになった。

もう人間じゃない、だって?



そもそも「人間」の定義は何なのか、という話だ。

確かに、認知症の母は自分が何者かもわかってない様子だし、夫や娘の顔も認識できないし、意味のある言葉を発せないから意思表示もできない。

それでも感情はあるし、身体の感覚もあるのだ。

痛いのや苦しいのは嫌がるし、何か欲しい時には声をあげたり手を伸ばしたりする。

そう、赤ん坊と同じなのだ。

赤ん坊は自分が誰で何をしてるか理解してないし、言葉も喋れない。

だからって、赤ん坊は「人間じゃない」のか?

人間じゃないから、生きてる意味はないのか?

医者の検診も受けさせず、病気になっても放っておいて、そのまま死なせた方が幸せなのか?



違うだろ!

生まれたての赤ん坊も、認知症の母も、生きてる限りは「人間」だろう!

生きる権利は当然あるし、弱い存在だからこそ守ってもらう必要がある。

なのに「人間じゃない」とか「死んだ方が幸せだ」とか「医者に診せる必要ない」とか、お父さん、あんたの理屈こそ人間じゃないよ!



だが、いくら反論しようにも、父は私の言葉を悉く遮り、ますます大声で怒鳴り散らすのだった。

「俺とお母さんはクリスチャンだ! 死んだら天国に行くって決まってるんだ! だからそこらへんの世間一般の人たちみたいに生きる事に執着してないんだよ!」

「それは何度も聞いてわかってるけど、だからって医者に診せなくていいって理屈にはならな……」

「いいんだよ! 早く死んで天国に行った方が幸せなんだよ、俺もお母さんも!」

「もういい、わかった。怒らないでよ、もう! 私は自分の意見を言ってるだけなのに、なんでそんなに興奮して怒鳴るの?」

「怒鳴ってないよ!」

「怒鳴ってんじゃん!」

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