20世紀の100年間、世界はフランス料理の天下だった。19世紀末、オーギュスト・エスコフィエという「料理人の王様か、王様の料理人か」と謳われたグランシェフがパリとロンドンで活躍し、彼がセザール・リッツと組んで立ち上げたロンドンのホテル「リッツ」では世界の賓客をフランス料理でもてなし、その出来栄えで唸らせ、一世を風靡したと言われている。今でもレストランのメニューに載るデザートの「ピーチメルバ」や朝食のこんがり焼き上げた薄目の「メルバトースト」は、ホテルの宿泊客の常連だったオーストラリアのソプラノ歌手ネリー・メルバのために作られたものだった。
第2次世界大戦後、アメリカ人の観光客がドルの力でヨーロッパへ旅行し、フランス料理は一段と評判を高めていった。パリの最高級レストランのボーイたちは英語でメニューを説明するようになり、食いしん坊のアメリカ人は赤いガイドブックの「ミシュラン」片手に、パリばかりかレンタカーでフランス各地の3つ星、2つ星など星付きの名レストランを食べ歩くようになった。
1972年のオイルショックでそのブームは少々下火にはなったものの、この後、日本からも若い料理人が次々に修業に出かけ、食べるだけの私もフランス料理に興味を持ちだし、本場の最高のフランス料理が知りたくて旅に出たのが1973年だった。
当時、「ラ・ヌーヴェル・キュイジーヌ・フランセーズ」という新しいフランス料理の潮流が生まれ、その旗頭のひとりリヨンのポール・ボキューズが、日本をはじめ世界に飛び出し精力的に「フランス料理大使」の役割を果たしたのもこの時期である。
「フランス料理界」の寵児となったポール・ボキューズは、その功績が認められて、時の大統領ジスカール・デスタンから「レジオン・ドヌール最高勲章」を授与されたのが1975年のことだった。ここからはフランス料理は破竹の勢いで世界進出、80年代に入ると、ジョエル・ロブションがパリに現れ、わずか3年の最短で「ミシュラン」3つ星を獲得すると、そのニュースが瞬く間に世界に発信され、その後、世界各地に「ロブション」のレストランが展開されていった。それに続いたのが、モナコの「オテル・ド・パリ」で3つ星に輝いたアラン・デュカスで、フランス料理をロブションとは一味違ったポピュラーなスタイルで世界展開し、人気を不動のものにしていった。
ここまでが、フランス料理が天下を取り続けたかいつまんだ100年の歴史である。
ところが、1990年代半ばにヨーロッパの料理界に激変が起こった。