女王様のご生還 VOL.29 中村うさぎ

現実では足が悪いのに、夢の中では普通に歩いてることが多い。

でも夢の中では自分の足が悪いことも忘れてるので、特に「歩けて嬉しい!」的な感慨はない。

ところが昨日の夢では、どこかをウキウキと歩きながら、周りの友人たちに「見て見て! ほら、あたし、杖なしで歩けるよ!」と自慢していた。

本当に本当に嬉しかった。

目覚めた後、相変わらずヨロヨロの足でトイレに行き、心の底からガッカリした。



「私たちが生まれてきたことに意味はない。人生に意味が欲しいなら、自分で意味を付けていくしかない」と、ずっと言ってきた。

今でも、そう考えている。

だから、いろんなことをして自分の人生に意味を付加しようと頑張ってきた。

的外れなこともたくさんしたけど、それだって無意味ではなかったと思う。



だが、「足が不自由になったこと」には、どんな意味を見出せばいいのか?

それがいまだにわからない。

「足の不自由な人の気持ちがわかるようになった」とか「他人の親切を素直にありがたいと思えるようになった」とか、そういう類の心境の変化はあるにせよ、もっと自分の心の底に届くほど深い発見はないのである。



私はずっと「私とは何か?」という問いを追ってきた。

買い物依存もホストも整形もデリヘルも、さまざまな「私」を教えてくれた。

それはもう、目を背けたくなるほど愚かで浅ましい「私」であったが、それを知らなければ私はずっと偽りの自分に騙され続けてきたと思う。

だが、「歩けなくなった私」に、私はどんな自分も見つけられない。

ただただ無力感だけが私を浸していく。



自分が無力であることなんか、足が不自由になる前からわかっていた。

私は自分を救うことすらできない人間だ。

己の人生に立ち向かうこともできない人間だ。

いや、もしかしたら以前は、立ち向かっているつもりだったのかもしれない。

しかしそんなものは幻想であり、実際にはただただ翻弄されているだけの無力な人間であることを、今回初めて思い知らされたのかもしれない。

だとしたら、この無力感と絶望は、私が60年近くかけてようやく辿り着いた「私」の本当の姿なのか?



まったくもって歓迎できない結論であるが、それならそれで受け容れるしかない。

「私は無力な人間である」という自己認識から、私は残りの人生をスタートしなくてはならないのだ。

しかし「無力である」という自己認識からは、「どんな行動も無駄である」という結論しか導けない。

それって生きる気力が著しく削がれるだけじゃん!

だって、どうせ何をやっても意味ないんだもん!

人生に「意味を付ける」どころか、人生そのものが無意味だってことでしょ?



いや、ダメだ!

そんなの納得できない!

たとえ無力であろうとも、私の人生に意味がなかったなんて、私は絶対に認めたくない。

たとえ他の人たちにとっては無意味であっても、私の人生は私のためにあるのだから、私個人にとっては何らかの意味があるはずではないか。

そこは何としても譲れない。

やはり私は、この「無力な私」という自己認識から、何らかの意味を見つけ出さなくてはならないのだ。

ひとりで歩くことも叶わず、社会からも必要とされず、自分を救うこともできない私だが、それでも私は私のために答を探さなくてはならない。

たぶん、その答が、自分を救うことに繋がるに違いない。

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