女王様のご生還 VOL.274 中村うさぎ

相手を論破しようとしたり説得しようとしたりする時に、いわゆる「偉人の名言」みたいなのを持ち出す人っているよね。

たとえば、こんな感じだ。

「私の人生なんてどうせ負け戦ですからねぇ、ははは」

「うさぎさん、サルトルはこう言ってますよ。『負け戦とは、自分が負けてしまったと思う戦いの事である』と」

「はぁ……」

そうですか。サルトルはそう言いましたか……んで?だから何っ!?

サルトルがそう言ったからって、私もそう思わなくちゃいけないの!?

私、サルトルじゃないし、サルトルと同じ価値観で生きる筋合いもないよ!

サルトルの人生はサルトルのものであり、私の人生は私のものだ。

生まれ育った時代も環境も違うそれぞれが、己の体験や感じ考えた事を基盤に個々の人生を構築していくわけですよ。

そりゃもちろん、全然違う人生を歩んでも、似たような結論に至る事はあるだろう。

でも、だからといって、私にとって自分の体験や思考が無駄だったわけではない。

私より何十年も前にサルトルが似たような事を言ってたとしても、それはあくまでサルトルの考えであって、私のものじゃないからね。

偉い人が何を考え何を言おうと、それが私にとっての「真理」とは限らないでしょ。

たとえ最終的に似通った結論に達しようが、私が自分で考え自分で導き出した言葉じゃないと、私には意味ないんだよ!



それにつけても不思議なのは、こういう名言大好きの人々は何故他人の言葉を簡単に鵜呑みにしてそれが真理だと思い込めるんだろう、という点である。

確かに高名な哲学者だったり作家だったりするかもしれないけど、彼らが常に正しいとは限らないでしょ?

「偉い人=正しい」という盲目的な思い込みは、教祖の言葉に一片の疑問も持たず服従するカルト信者によく似てる。

自分で考える努力を放棄し、とにかく権威にひれ伏すのだ。

まぁ、何を信じようと勝手なんだが、それを私にドヤ顔で押しつけないで欲しいわね。

しかも「今、俺、めっちゃいい事言ったー!」的なご満悦に浸っちゃってさ。

そういうの見てると、私はどんな顔していいのかわからなくなる。

目を輝かせて「へぇ、そうなんですかー!すごーい!博学ですねー」とか言えばいいんだろうけど、そんな心にもない事言えないし、だからって「サルトルが何言ってようが関係ねーよ!」とか言い返すわけにもいかんしな。

私にだって多少の社交性はあるので、目の前の相手に喧嘩売るような言葉はできれば吐きたくないのである(まぁ、時々我慢できずに吐いちゃうけど、それは私が社会人として未熟だからです。すみません)。

で、なけなしの社交性を発揮して、感心するわけでもなく全否定するわけでもない、きわめて曖昧な表情で「はぁ……」などと受け流すのであるが、私がその名言に感銘を受けてないのはバレバレなので、相手はひどくご不満の様子なのであった。

「せっかく素晴らしい言葉を授けてやったのに、理解してないこいつはバカなの?あ、もしかしてサルトル知らねーの?」とか思うみたいでフッとか笑われたりする事もある。

ご満悦に水を差されてちょっとムッとするけど、こいつはバカなんだと思う事で彼のプライドはたちまち回復し、人によってはその後ものすごく優しくなる場合もある。

たぶん、このバカにいろいろ教えてしんぜよう、という慈悲の心が芽生えるのだ。

ありがとう。でも、大きなお世話。

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