女王様のご生還 VOL.197 中村うさぎ

私が疑問視するのは、表現の規制や言葉狩りによって本当に差別がなくなるのか、という問題だ。

また、性犯罪を男性の性的欲求や性的好奇心のせいにしてそれらの本能的欲求を封じる事にどれほどの犯罪抑制効果があるのか、という問題である。

表現規制や言葉狩りをする人は、その手法によって差別や犯罪が減少したという確たるデータや具体的根拠を明示してくれない。



性的欲求を全否定され恥ずかしい欲求だと教え込まれた人間は、本能を恥じ己を恥じながら育つ事になる。

たとえばゲイはほんの数十年前まで恥ずべき性癖と見做されて来たし、欧米において同性の性行為は立派な犯罪行為として禁じられていた。

だがその禁止によってゲイ人口が減少したかというと、そんなことはない。

ゲイたちは表向きには自分の性癖を隠し、こっそり行動するようになっただけだ。

しかも幼い頃から周囲に自分の性癖を否定されることで自己嫌悪や自己否定感に苦しみ、その怒りや憎しみが彼らを極端な行動に走らせるケースもあった。

犯罪史上に名を残すゲイのシリアルキラーには、そのタイプが多い。

彼らはゲイだから人を殺したのではない。

ゲイである事を恥じ、自分を嫌悪し、自分を欲情させる男たちを憎んだ結果、そのような犯罪に走ったのだ。



幼い頃から男らしくなかったジョン・ゲイシーは厳格な父親から「このオカマ野郎」と罵られ頻繁に体罰を加えられて育った。

ゲイである自分を恥じ、ひた隠しにして育った彼は、社会のルールに従って女性と結婚したものの、心を奪われる対象はいつも少年たちだった。

彼はそんな自分を嫌悪したが、それでも少年たちに対する欲情を抑えることができず、こっそり家に連れ込んで性行為を強要した挙句、噂が広まるのを恐れて彼らを殺し地下に埋めた。

もし彼がゲイである事を周囲に否定されずに育ったら、無理に結婚してストレスを抱える事もなかっただろうし、性行為の相手を口封じに殺す必要もなかっただろう。

ゲイという性癖はたいてい生まれつきのものであり、矯正することもできないし本人が逃れようと努力しても無駄である。

同様に、ノンケ男性たちの女性に対する性的欲求も抗いがたい本能であり、それを否定したり恥じたり嫌悪したりしても自己評価をこじらせるだけで、場合によってはそれが女性への憎悪や攻撃欲に姿を変えるのだ。



禁欲を美徳とするキリスト教やムスリムが男性の自然な性的欲求を頑なに否定するあまり、まるで誘惑する女性が悪いかのような見方が定着し、根強い男尊女卑の価値観を育んだのはその典型である。

女性差別は男性の性的欲求から生まれるのではない。

男性の性的欲求を恥ずべき忌まわしい本能として厳しく抑圧し、本人がそれを恥じたり嫌悪したりするように仕向ける教育から生まれるのだ。

なのに一部のフェミニストや母親たちがエロ表現物を規制して子供の性的好奇心を抑圧したがるのは、私の目には女性差別的土壌を積極的に育てようとしている本末転倒にして酷く滑稽な行為に映る。



もちろん私も女であるから、彼女たちが男性の性的欲求を不快に思う気持ちはわかる。

一度でも痴漢に遭ったりセクハラされたりレイプの危機に瀕したりした経験があれば、自分にそのような恐怖や屈辱感を与えた男性たちに対する怒りや嫌悪がめらめらと燃え上がり、決して彼らを許す気にはなれない。

しかし、憎むべきは彼らの性欲ではないのだ。

相手の了承も得ずに身体に触ってきたり無理やりキスやセックスを求めたりするその無神経さや傍若無人っぷりを責めるべきだ。

女性は男性の性的対象であるが、だからといって意思も権利も持たない性的玩具ではない。

女性の身体は本人のものであり、誰に接触を許すかは持ち主である女性自身が決める事だ。

その部分をこそしっかりと教え込むべきだというのが私の考えである。



幼い頃から男児に対して性的欲求を禁じる教育手法は、彼らがその性的欲求をどう扱うかを学ぶ機会さえ奪ってしまう。

性的欲求が生き物にプログラミングされた種の保存本能である限り、それを撲滅する事など非現実的で無意味なのだから、むしろそれを社会的ルールに則ってどう扱うべきかを早くから教えるのが望ましいのではないか。

それには、相手がひとりの人間であり、その意思や権利は必ず尊重しなくてはならないという当たり前の事実を教える必要がある。

むやみに子供の目から性的表現を隠し続ける人々は、いったいどのタイミングでそれを子供に教えるつもりなのだろう。

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