女王様のご生還 VOL.139

私は基本的に「人から嫌われている」とか「疎まれている」と思い込みやすい。

これって「被害妄想」になるのかなぁ、と考えてみたが、べつに嫌われることを被害とは感じない。

むしろ「人に不快な思いをさせてる」という意味で自分を加害者側と認識しているのだ。



人間関係は、目に見えない水面下で傷つけ合ったり我慢し合ったりしているものだ。

それを「被害」と感じるか「加害」と感じるかで、その人の世界は大きく変わるような気がする。

露骨にイジメられてるとかハブられてる場合は別にして、特にこれといった根拠もないのに「私は嫌われてるかもしれない」と感じるのは、多くの人にありがちな傾向だろう。

誰だって人に嫌われるのは嬉しくない。

この私ですら、だ。



で、その場合、加害者意識の人はそこで「きっと自分のこういうところが悪いんだろうな」とあれこれ推測し、人によってはそこを矯正しようと努力するし、私のように「でも無理して周りに媚びるくらいなら嫌われたほうがマシか」と開き直ってしまうかの二択である。

一方、被害者意識の人に多く見られるのは「自分は嫉妬されてる」とか「誰も味方になってくれない」といった解釈によって自分自身を「悲劇のヒロイン」認定してしまうケースだ。

シンデレラや白雪姫のように、美しさや善良さゆえに邪悪な凡人たちから謂われなく虐げられる、というわけだ。

自分が悪いのではないから、ただひたすら身の不運を嘆き、いつか心優しい妖精や王子様救ってれるのを待つばかりである。

だが、たいていの場合、そんな都合のいい救い主は現れない(苦笑)。



加害者意識の人間と被害者意識の人間、どちらが正しい自己認識かなんて、私にはわからない。

たぶん、どっちも間違ってる。

人間関係において、我々は常に「加害者」であると同時に「被害者」だからだ。

したがって、自分をどちらか一方だと思う時点で偏っている。



そうなると、「どちらが生きやすいのか」という問題になるのだが、これまた一長一短で甲乙つけ難い。

加害者意識の人は自己嫌悪から逃れられないし、被害者意識の人は他者への恨みから逃れられない。

どちらが苦しいかなんて、誰にも判定できないだろう。

加害者意識の人には「自己改造」あるいは「開き直り」という苦境を脱する手段があるものの、どちらもさほど容易ではない。

被害者意識の人にはそのような悪あがきがなく「いつか誰かが現れる」という希望があるが、それだって簡単には実現しないことがおいおいわかってくる。

どちらも、どこかで諦めなければならなくなるのだ。

自分を変えることにも、他者の見解を変えることにも、世界を変えることにも限度がある。

嫌われ者を自認して世捨て人になろうとも、他者を完全に排除することは不可能なのだ。

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