女王様のご生還 VOL.158 中村うさぎ

前にも言ったと思うが、私は他人の気持ちに共感する能力が低いと思う。

と、こういう事を言うと必ず「うさぎさんは女性の犯罪者の気持ちとかよく書いてるじゃないですか」と反論されるのだが、あれは共感しているのではなく分析しているのだ。

子供の頃から人の気持ちを読むのが下手で友人関係で苦労したため、他人の気持ちを少しでも理解したくて観察分析する癖がついた。

それだけのことである。



そもそも私には、みんなが「共感」と呼ぶ気持ちがよくわかってないような気がする。

映画や漫画の登場人物に同情して涙ぐむこともあるし、「ああ、その気持ちわかる」と深く頷くこともあるが、はたしてそれは「共感」なのか?



まず、「同情」と「共感」は全然違う。

相手と自分の距離感が違うのだ。

私は差別問題に興味があるので同性愛差別や女性差別や人種差別をテーマにしたドキュメンタリーなどを好んで観るが、酷い体験をした人たちに同情したからといって「共感した」とは言えまい。

自分が同じ体験をしたわけではないからだ。



一方、自分にも身に覚えのある体験をした人たちが描かれていて、彼ら彼女らの感情に己の体験を重ねることはあるものの、「わかるわ、その気持ち」というのは「共感」なのか?

おそらく多くの人はそれを「共感」と呼んでいるんだと思うが、私の場合、「わかるわ、その気持ち」と思った時に登場人物と一緒に涙を流すことはあまりない。

「ああ、わかるわかる」と思うだけで、感情は動かないのだ。

むしろ自分と同じ体験をして似たような感情を味わっている登場人物を見ながら「なるほど、あの時の私の感情はこういうことだったのね」と納得したり、「ああ、わかるけど、ここで腹を立てるのはやっぱ間違ってるよな」と反省したり、かつての自分を客観的に分析しながら見ていることの方が多い。

だから、これはたぶん、他の人たちの「共感」とは種類が違うんじゃないかと感じるのだ。



「共感能力」は、人間が社会という共同体に属して生きる道を選んだことで、非常に重要な機能となったのだと思う。

人の気持ちを察し、それを共有することで、我々は自他の間の軋轢を避けることができる。

しかもそれは同じ夢や目標を持つことを容易にし、複数の人間たちが一丸となって結束することも可能にする。

いわゆる「絆」というやつである。

そして、私はこの「絆」というやつが非常に苦手だ。

1対1の人間関係ならまだしも、多数の人間が同じ気持ちを共有するなんて不可能だと思うし、共有した気分になっているならそれは手前勝手な幻想だろう。

しかも、そういう団体には必ずと言っていいほど「同調圧力」が働くので、なんかもう欺瞞と独善に満ちた悪夢の世界になりかねない。

他者と絆を深める喜びよりも、他者から絆を強要される息苦しさの方が、私にとっては大問題なのである。



「共感能力」は脳の「ミラーニューロン」と呼ばれる部位によって生み出されるらしい。

「自閉症スペクトラム」の人はこのミラーニューロンの働きが弱いため、他人の感情を読み取ったり共感したりする能力が欠落しているそうだ。

私も「自閉症スペクトラム」のひとつである「アスペルガー症候群」と診断されたので、きっとミラーニューロンの働きが弱いのだと思う。

だから他者との「絆」を感じにくいし、「絆」を要求されるのも苦痛なのだろう。

それはもう生まれつきの機能障害なのだから諦めるとしても、健常者の人たちが体験している「共感」や「絆」というものがいったいどんなものなのか、ものすごく興味がある。

友人や親族の葬式でみんなが泣いているのを不思議な気持ちで見ていたことが何度もあるが、あれってそれぞれが個別の悲しみにくれているのか、みんなが泣いてるから同じ悲しみを共有しているのか、そこがわからない。

この続きを見るには

(1,087文字)

¥250(税込)

購入して続きを読む