女王様のご生還 VOL.258 中村うさぎ

「男のロマン」って言葉はあるのに、「女のロマン」って言葉はあんまり聞かないよな。

それはもちろん、女がロマンを持たない生き物だって事ではない。

ロマンを見果てぬ夢や憧れと定義するなら、女にだってそういうものはある。

確実に、ある。

だが、あまり言語化されて来なかっただけだ。

おそらく長きにわたる男性支配の社会の中で、女がロマンを語るのは顰蹙ものだったのだろう。

何故なら、女には子を産み育てるという重要な使命があったからだ。

女が我が子の頭越しに遥か遠くの夢や憧れなんぞ見ていた日にゃ、子育てが疎かになってしまう。

そのような呪縛から解き放たれたように見える現代でも、母親が我が子を二の次にして何か他のものを追いかけたりすると、たちまち世間から非難を浴びる。

男が家族より自分の夢を優先しても「男のロマンだねぇ」とか「少年の心を忘れない男」とか、都合よく美化されて許されてしまうのに、だ。

男は女に、見果てぬ夢など持たず子育てに集中して欲しいのである。

だが、そうはいくかい!



私はある時期から、死ぬまで自分のロマンを追求しようと決心した。

私のロマンは「自分と世界の探求」だ。

自分を知りたい世界を知りたいという欲求が、私をここまで牽引してきた。

子供なんかに興味はないし、そもそもきわめて個人的な探求だから他人に委ねるものでもないので、我が子に継がせたいなどという願望も一切ない。

これは、この世でただひとり、私にしかできない探求なのだ。

仮に何らかの成果が上がったところで社会に貢献できるわけでもないし、クソの役にも立たない非常にくだらない探求であるが、私にとってはこの世の何より重要な使命だ。

「ロマンが自分かよ。ちっぽけだな」と笑われそうだけど、自分を知るというのは存外難しく、死ぬまでに答が出るかどうかも怪しい無謀な目標だと思っている。

そういう意味では、宇宙旅行や徳川の埋蔵金探しよりゴールの見えない旅なのだ。



ああ、でも私は夢見ずにはいられない。

いつか目の前の霧がぱっと晴れて、目の前の鏡にくっきりと映し出された自分の姿と対峙する日を。

どんなに醜くグロテスクな姿でもいい、私の中身をあますところなくすべて曝け出して見せてくれ。

そして、このような自分がどんな世界とどう繋がっているのか、教えて欲しい。

おそらく「世界」というのは私の脳内の産物であるから、「私の姿=世界の姿」であるはずだ(←私の理論では)。

我々はみな、世界が自分の外側にあるように錯覚しがちだが、じつは世界は自分の中にある。

極論すれば、自分の中にしか世界はない。

外にあるのは様々な現象(他者も含めて)に過ぎず、それを私の脳がどう解釈するかで初めて「世界」が像を結ぶのだ。

ならば、自分を知る事こそが世界を知る事ではないか。

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