夢の中で、馴染みの町を歩いて馴染みの店に行く。
たいていはケーキ屋や総菜屋など食べ物関係の店だ。
いつもの通りにあるいつもの店。
いそいそとショーケースを覗いて「さあ、どれを買おうか」と物色するのが楽しくて仕方ない。
これが、私の日常……と、その時は思っている。
ところが目覚めてよくよく思い返してみると、町も店もまったく知らない場所なのである。
架空の町の架空の店を、夢の中の私は「馴染みの場所」だと感じているのだ。
これって不思議な現象だとつくづく思う。
通常、我々は目の前の風景を己の記憶と照らし合わせ、「知ってる場所」か「知らない場所」かを判断している。
まったく記憶にない場所を「馴染みの場所」と誤認する事はほとんどない。
なのに夢の中の私は、明らかに記憶にない場所を「行きつけの馴染み深い場所」と疑いもなく確信しているのだ。
どこかで見かけて記憶の奥底に眠っていた場所が夢の中に出て来たのだ、という解釈もできるが、それは違うと思う。
一度見かけただけの風景は、いわゆる「馴染みの場所」ではない。
夢の中で「そう、ここ知ってる。いつもの店よね」と感じている私は、単なる知識として「知っている」と思っているのではなく、もっと温かい気持ちを味わっている。
「馴染みの場所」だからこそ感じられる安心感というか、着慣れた服に袖を通すようなとても穏やかなくつろいだ日常感だ。
いくら夢とはいえ、まったく記憶にない場所にこのような「馴染み感」を抱くのはどういう事だろう?
おそらく脳の誤作動であろうが、記憶の誤作動ではなく、おそらく「馴染み感」を抱く部位の誤作動だと思う。
脳のどこらへんかは知らないが、たぶん場所や人に対して「親近感」を抱く時に活動する部位があって、そこが反応しているのだろう。
そこで思い出すのが、「カプグラ症候群」と呼ばれる脳の障害だ。
カプグラ症候群の患者は家族を「偽物」だと思い込む。
家族の顔を忘れているわけではない。
ちゃんと覚えているし、「そっくりだ」と認識してもいるのだが、「そっくりだけど、あれは偽物なんです」と主張するのである。
何故こんな事が起きるのかというと、その顔は「家族の顔」として記憶に刻まれているものの、普通なら家族に抱くはずの「馴染み感」が抱けないからだと言う。
人間がもし「馴染み感」を記憶でのみ判断しているのなら、この「カプグラ症候群」はあり得ない。
そう、我々は「馴染み」という感覚を、記憶と感情の両方で?判断しているのである。
その感情とは、さっき述べたような「着慣れた服に袖を通すよう」な温かく穏やかでくつろいだ安心感だ。
夢の中で「馴染みの店」に行く私の脳内では、カプグラ症候群と正反対の現象が起きているわけなのだ。