女王様のご生還 VOL.227 中村うさぎ

前回、「今年の抱負は特にない」と書いたが、考えてみると私、新年に抱負なんか抱いた事、今までの人生で一度もないよ。

ていうか、他の人たちはみんな「一年の抱負」なんてものを考えるの?

新年のTV番組とかで必ず「今年の抱負は?」と訊かれて、出演者たちは全員それっぽい事を答えてるけど、あんなの番組で訊かれるから考えてるだけじゃないの?

だいたい他人の抱負なんてものに私は興味がないんだが、視聴者たちはあれ聞いて楽しいのかな?

もうね、ああいう毒にも薬にもならんやり取り聞いてるだけで、私はバカバカしくなって半笑いしちゃうよ。

昨日、仕事に向かうタクシーの中で漫然とタクシーTV観てたら、何かのCMで女性タレントが「私の新年の抱負はゴルフを始める事です!」なんて元気に宣言してたけど、「へぇ、そうなの。勝手にやりな」と思っただけだった。

ゴルフ道具のCMならわかるが、別にそういうわけでもないので、「このCM作った人は何を考えてんだろう?」と暇に任せてしばらく考え込んだほどだ。



まぁ、他人の抱負に興味津々の人がいるんなら、それでいいんだけどさ。

そんなにたくさんいるとは思えないんだよね。

なのに必ず「今年の抱負は?」という質問をするのは、制作スタッフも出演者も視聴者も「そういうもんでしょ」とか思い込んでるだけで実際には誰も興味のない空虚な会話を垂れ流しているに過ぎず、しかもその空虚さに無自覚だという愚鈍を新年早々露呈しちゃってるわけである。

ああ、本当にウンザリするぜ。

私はこういう中身のない「お約束」が大嫌い。

でも、こういう「お約束」に乗れない人は「協調性がない」とか「空気が読めない」とか言われて変人扱いされるんだろうな。



TV業界ではこれまで散々嫌な思いをしたので、自分はあの人たちの世界とは相容れない人間なんだなとつくづく悟った。

あの世界でうまくやっていける人たちは、たぶん私とはまったく違う人種の人たちだ。

そして私は、あの人たちと同じ人種になりたくない。

形骸化した空虚な言葉を平気で垂れ流し続ける事のできる人たち。

真夜中でも「おはよう」とか言えちゃう人々。

普通の挨拶ですらこうなのだから、いついかなる時にも本当の事を言わない彼らは、ある意味、非常にフィクショナルな日常を生きていると言えよう。

彼らの発する言葉はすべて台詞、彼らの挙動もすべて演技なのだ。

それに違和感を覚える人間はあそこでは生きていけないが、すんなり馴染める人間にとってはあんなに居心地のいい世界はないだろう。

「お約束」さえ覚えればいいだけのイージーな世界なんだもの。



私は演技で生きていく事が悪いとは思わない。

ただ、私にはその才能がないだけだ。

そして、そんな才能を欲しいとも思わない。

何故なら私は偏執的なまでに嘘を忌避する人間だからだ。

嘘は言葉に対する冒涜だ。

人が本気で吐いた言葉しか、この世に生き残ってはいけないと考えている。

だから形骸化された薄っぺらい定型の言葉を喋る人間とは相容れない。

でもそれは私の勝手な個人ルールなので、他人に強要する気は毛頭ない。

我々は淡水魚と海水魚のように棲み分けるしかないのである。

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