女王様のご生還 VOL.25 中村うさぎ

のっけから暗い話で申し訳ない。

人間には「生きる目標」が必要だと思うのだが、私は途中でそれを見失ってしまい、ある時期から(おそらく例の病気以降)、もう一日も早く死んじゃいたいとばかり考えるようになった。

足が悪くて歩けない、ろれつが回らなくて普通に喋れない、白内障になって目がよく見えない。

そのうえ、自分の脳がどんどん劣化していくのがわかる。記憶力、集中力、思考力が鈍磨して、まるで身体も知能もどんどん錆びついていくロボットのようだ。

もう59歳なのだから仕方ないとはいえ、ここまで急激にガタがくるとは思わなかった。

60歳過ぎても普通に歩いてる人はいるし、ちゃんと喋れる人もいっぱいいる。



人並みのことができない悔しさを、日々噛み締めながら生きている。

と、このようなことを言うと、介護や介助の仕事をしている人から必ずと言っていいほど「他人の力を借りて生きることを恥じてはいけません」なんて諭されるのだが、それは君が助ける側の人間だからだ。

助けられてる側の無力感や屈辱感を知りもしないくせに、上から目線で悟ったようなこと説教すんじゃねーよ、と思ってしまう。

逆ギレなのは自分でもわかってるし、善意や好意で励ましてくれてる人にそんな気持ちを持つのは本当に申し訳ない。

だけど、あなたがもし私と同じような身体になったら、心穏やかでいられるか?

絶対、いられるわけないんだよ。

他人事だから言えるんだ。



とはいえ、私だって他者の苦しみなんかわからないくせに、安易な説教をしてしまう。

このメルマガの人生相談なんて、その最たるものだ。

人間というのは、「誰かを救いたい」と思わずにはいられない生き物のようだ。

それが互いの助け合いという形で機能するのであれば、間違いなく社会にとって不可欠な習性と言えよう。

確かに、誰かを救おうとする時、人は優越感とヒロイズムの快楽に浸る。

が、その底にある善意まで否定してしまったら、誰も救われないではないか。



ただ、どうなんだろう。

私はね、自分のことも含めて、精神的な地獄っていうのは、基本的に自分で自分を救うしか道がないと思うんだ。

身体的な不自由とかは、それこそ介護や医療や他人の親切心や、そういう扶助によって大いに救われるさ。

経済的なことも法的なことも、慈善家や専門家の力を借りれば救われる道はある。

だけど、他人ができるのは、そこまでだ。

心の地獄は、本人にしかどうにもできない。

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