女王様のご生還 VOL.171 中村うさぎ

前回、「幸福の定型なんてない」という意見を述べたが、では何が自分の幸福なのかを見つけるのは、人によってはなかなか至難の業である。

「人によっては」というのは、一部の「変態」などと呼ばれる性的嗜好の持ち主は欲望がきわめて明確なので、満足できる対象を探し当てるのには苦労するものの「自分の欲しい物がわからない」という悩みとは無縁だからだ。

これは変態だけではなくオタクにも当てはまる現象で、かなりディープなオタクに限り、自分の世界で幸福になることが許されている。



ずっと昔、とある人のトークイベントにゲストとして招かれて出演した。

その人は私にオタクたちのインタビュー映像を見せ、「自分は鉄道の事を考えていればそれで満足なので結婚や恋愛に興味がない」と語るオタク青年についてどう思うかと尋ねてきた。

別に本人がそれで幸せならいいんじゃないか、と私が答えると、「こんな若者が増えるとますます日本は少子化になる」と言う。

私は日本の少子化が進んだところで特に困らないし、そもそも彼らがその若さで自分の幸福の在り方を確信していることに「自分の欲しい物が明確でいいなぁ」という羨望すら感じるので、その人が何故こんなに彼らを憂えているのか全然わからなかった。



「結婚して子供を産む」ことが万人の幸福である必要はなかろう。

ましてや日本の未来に貢献することが個人の幸福である必要もない。

何が幸福かなんて自分で決めることなのだ。

鉄道が彼の幸福なら、それでいいじゃないか。



問題は、私を含めた多くの人々が「自分の幸福は何か」がわからないことである。

経済的な安定なのか、家族に恵まれる事なのか、ひとりでも多くの他者に承認されることなのか、権力や名声で他者を支配することなのか……どれも欲しい物には違いないが、それが本当に自分を幸福にしてくれるのかは自信がない。

若い頃の私は富や承認を獲得すれば幸せになれるような気がしていた。

今の人生がままならないのは、金もなく才能もなく他者への影響力もないからだと思っていた。



そこでとにかく金と名声を手に入れようと悪あがきを重ねた結果、自分の幸福は金でも名声でもないという事に気づいたのだった。

私程度の人間でもそう思うのだから、もっと有名で金持ちのセレブたちは尚更であろう。

だが、それはある程度の金や名声を手にしてみなけりゃわからない感覚だ。

「金で幸せになんかなれないでしょ」なんてぇ事は誰にでも言えるが、それを心の底から確信できるのは経験した者だけだ。

もちろんハナから金や名声に関心がなく、鉄道だけが生き甲斐という人たちは別だが、たいていの人は「金があったら」「有名人だったら」などと思ってしまうものだ。

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