女王様のご生還 VOL.144 中村うさぎ

「うさぎ図書館」で触れた「代理ミュンヒハウゼン症候群」について、もう少し書いてみたいと思う。



多くの人にとって「代理ミュンヒハウゼン症候群」はまったく理解できない病のひとつであろう。

周囲の注目や優しさを求めて病気のふりをしたり自分の身体を傷つける「ミュンヒハウゼン症候群」の方は、まだ理解の範疇内だ。

親を振り向かせるために喘息や不整脈などに似た発作を起こす子供の例も耳にするし、リストカットする人の中にも「ミュンヒハウゼン症候群」的な要素はあるだろう。

また、病気自慢や不幸自慢の人々にも、「ミュンヒハウゼン症候群」に似た要素を感じる。

自分がそういう行動を取ったことがなくても、彼ら彼女らの気持ちは少しわかるのではないか。



だが、周囲の注目を惹きたくて我が子を傷つける「代理ミュンヒハウゼン症候群」の方は、「え! 子供がかわいそうじゃん!」という気持ちが先に立ち、「ミュンヒハウゼン症候群」に寄せる同情や共感の気持ちは持ちにくい。

子供嫌いの私ですら、「いやいや、子供を傷つけちゃダメでしょ」と思ってしまうくらいだ。

我が子でなくたって、誰かが自分のために苦しんだり傷ついたりすると罪悪感や自責の念を抱かずにいられないので、我々は極力それを避けようとする。

なのに、自分のせいで我が子が苦しんでいるのをよく平気で看病したりできるもんだ。



このような「良心や罪悪感の欠如」っぷりを見るに、「代理ミュンヒハウゼン症候群」の母親たちはサイコパスだと考えられるかもしれない。

私は精神科医でもないしサイコパスの定義に必ずしも詳しいわけではないから安易に彼女たちを「サイコパス」呼ばわりするのは気が引けるが、たとえば「サイコパス」の特徴として挙げられる「良心や罪悪感の欠如」「人を操るための巧みな虚言」「誇大な自己評価(これはもちろん「誇大な承認願望」に繋がる)」などを見るに、どれも当てはまる気かするのだ。

まぁ、当てはまるからといって決めつけるのは危険な思考経路なので慎重に考えるべきだと思うが、少しは理解できる「ミュンヒハウゼン症候群」に比べて「代理ミュンヒハウゼン症候群」が常人の理解や共感の範疇を超えるのは、やはりこの「サイコパス」的部分であろう。



しかし、そもそも「罪悪感」や「良心」などといったものは、人間が元来持っているものなのだろうか?

それとも、後天的に学ぶ感情なのか?

幼い子には善悪の区別がつかないし、したがって「罪悪感」といったものは存在しないように見える。

では「良心」は?

誰かが自分のせいで苦しんだり痛がったりしているのを見て自責の念を覚えるのは、大人から教えられる感情ではなく、自然に発生するものなのか?

犬猫などの動物を見ている限り、あまり「自責の念」などは持たないように思える。

犬がイタズラや粗相をして飼い主から隠れるのは、べつに自責の念や後悔などではなく、単に発覚して叱られるのを恐れるためだ。

幼い子供も同じようなものである。

動物が生きていくうえで、「良心」などは必要ないのかもしれない。

となると、こういった感情は先天的に埋め込まれたものではなく、親などから学ぶものだと思われる。



ならば、サイコパス的な親に育てられた子供は、罪悪感や良心を学ぶ機会がないがゆえに、親と同様のサイコパス的人格になるのだろうか?

「うさぎ図書館」でチラッと触れた「ディーディー・ブランチャード殺害事件(代理ミュンヒハウゼン症候群の母親を娘が殺害した事件)」において、殺害者であるジプシー・ローズを知る人々によると、「ジプシーの人生の大半におけるロールモデルは彼女の母親であり、彼女も母親と同じ社会病質的な心理操作行動を時折示すことがある」そうだ。

この「社会病質的な心理操作行動」というのが具体的にどんな行動なのかはぜひとも知りたいところだが、サイコパスの特徴のひとつである「巧みな虚言で他者を操ろうとする」ような面が彼女にはあるのだろうか?

虐待されて育った子供が親になって我が子を虐待する、いわゆる「虐待の連鎖」のように、「代理ミュンヒハウゼン症候群」の母親に育てられた子が長じて自分の子を持った時に同様の行動をする可能性はあるのだろうか?

いや、そもそも「代理ミュンヒハウゼン症候群」を「実子虐待」と同列に考えていい物だろうか?

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