アニメの珍味 第13回「アニメのスタンダード」

※2002年6月10日発売号の原稿です。

《前説》

 ディズニー映画のバイブルとも言える大書「生命を吹き込む魔法」(徳間書店)が出ました。実は英語版は15年くらい前に入手し、部分的には読んでいたりしましたが、和訳は圧倒的に読みやすいので(笑)重宝しそうです。アーカイブ(書庫)に保管されていた黎明期からの資料を駆使した技術論も良いのですが、この本で面白いのは現場の人の心理の動きを追いながら説明がなされていることですね。その点でも非常に参考になる本です。

●パトレイバーとスタンダード

『機動警察パトレイバー』というと、ゆうきまさみによる週刊少年サンデーに長期連載されたコミック版の存在も大きいです。現在では文庫版が手に入りやすく、今回の映画公開にあわせて始まったコンビニ流通の廉価版(傑作選的なもの)も継続して発刊されています。

 後者の方では、ちょうどシャフト・エンタープライズのTYPE-J9グリフォンが、警察の篠原重工98式AVイングラムの宿敵として登場したところで、単行本も持っているのに、つい買ってしまったりして。うまく乗せられています。

 サブタイトルは「OUT OF STANDARD(規格外品)」。作中からシャフト技術者・伊豆口の言葉を引用すれば、「現行レイバー規格とフォーマットが全然違う上に、コストがべらぼーにかかる」とのことで、戦闘用を主眼として開発されたグリフォンのことを形容しています。

 今回はこの「スタンダード」という言葉にこだわった話で行きたいと思います。

●スタンダードの精神論

「スタンダード」は、ここで「規格」と訳されているように、一般的には「標準」「基準」のことです。「普通のもの」、「決められて押しつけられているルール」、「尺度」という解釈もあるでしょう。それも文脈によっては間違いではないのですが、ちょっと概念の中に足りないものがある気がします。

 筆者は数年前まで、通信やパソコンの世界における「標準化」の仕事で国内・国外の会議に行ってました。その経験から言うと、スタンダードには大事な精神的側面がともなっていると感じます。

 スタンダードの精神とは、まずは誰かが「これは良いものだ」と発案・提案し、公開することから始まります。その価値が多くの人に受け入れられた結果、市場の共有財産として流通する──そういうパブリックな価値観を含んだものこそが「スタンダード」と呼べるものなのです。

 辞書を調べても、「比較するためのお手本」や「権威(価値)をともなった基準」というような意味が歴然とありますし、音楽でもジャズの「スタンダードナンバー」は、歴史の中で多くのプレイヤーが演奏してきたものを指します。

 となると、法律のような強制力を公使することで意味を持つものというよりは、もっと民主的な価値流通がともなってこそ「スタンダード」と呼べるのだということが判るでしょう。

 通信の世界でも情報機器の世界でも、機器が相互に接続できないと価値が失われますので、仕様を公の組織で審議し、規格書として制定する作業が行われています。そこでは天下り的に誰かが何か具体的な仕様を決めてくれるわけはなく、「こういう技術を持っているから、こういう提案ができる」と発言し、仕様書を提出することが参加者の仕事です。

 面白いのはこの提案を「CONTRIBUTION(貢献=寄書)」と呼ぶことです。つまり「企業として稼いでいるならその金で新技術を開発し、国際社会に対して還元して貢献すべし」、という思想が折り込み済みなわけです。「金」は「価値」と同じものですし、欧米社会は「GIVE & TAKE」の思想が基本ですから、きわめて自然なことです。もちろん、そうやって積極的に仕様を寄与すれば、提案している会社が有利になる部分も大なわけですし……。

 ですから、諸外国企業は非常に積極的です。なのに日本は……。まあ、本題から少しはずれますが。たとえばインターネットも、本来の思想はこの「GIVE & TAKE」です。誰もが情報やソフトを簡単に取ることができる代償として、発信者として何らかの情報提供をすることで成立している世界です。

 インターネットで読んでばかり、ソフトを落としてばかりの人がどう呼ばれているか知っていれば、仕様をもらう一方の側がどう思われるかは、まったくご想像の通りだと思います。

●デファクト・スタンダードという意味

 そういう目で、『パトレイバー』という作品自体と「スタンダード」の関係を考えてみると、少し面白いものが見えてきます。

 アニメの企画は、公で議論して決めるものでは(とりあえず)ありませんから、流通する価値があるかないかを決めるものは、市場原理だけです。ですが、ここにも価値の受容があるからには、「スタンダード」としての発展と継承があるはずなのです。

 仕様として明文化されていなかったり、詠み人知らずになっていても、共有されて流通しているものは、「デファクト・スタンダード」と呼ばれます。「デファクト」とはラテン語で「事実上の」という意味で、良いと思ってみんなが使っているうちに事実上のスタンダードと認められたもの、ということです。

 ロボットアニメ史でも、この「デファクト・スタンダード」という考え方で、説明のつくことがいくつもあります。たとえば『マジンガーZ』と『機動戦士ガンダム』は、ロボットアニメ世界における2大デファクト・スタンダードと言えます。

『マジンガーZ』が後のスタンダードとして機能した点は、「乗り物が合体してロボットを操縦する」「研究所があって博士がいる」「敵が要塞に乗って○○獣を出動させて攻撃してくる」「必殺技を持ち名前を絶叫する」等々です。『機動戦士ガンダム』では、「ロボットを現実世界の乗り物・兵器と位置づけ、いてもおかしくない社会を設定する」「ロボットと呼ばずに違う名前で呼ぶ」「必殺技を持たず人間の道具のようなもので武装」あたりが該当でしょう。

 このように、設定のさらに上位にあたるものは「フォーマット」と言いますが、ある時代層において共通のものとして観客に受容されて流通したフォーマットは、「デファクト・スタンダード」と呼んで差し支えないものになると思います。

●パトレイバー・スタンダードの価値

 この流れでいくと、『機動警察パトレイバー』も明らかにガンダム・スタンダードにフォーマット準拠した1本という位置づけに、まずはなります。ロボットを「レイバー」という名前で呼んでみたり、イングラムが巨大拳銃リボルバー・カノンで武装していたりするのが、それを端的に物語っています。

 ですがパトレイバーをガンダムと混同したりすることは、まずないでしょう。それは、ガンダム以外の作品──たとえば『鉄人28号』がヒントになっていたりすることも関係あるでしょうし、メインの制作時期の1990年前後に発展めざましかったパソコンのイメージが入っていたりするためでもあるでしょう。

 パトレイバーにはパトレイバーなりのオリジナリティが確立しています。オリジナルといっても、誰もがまったく見たことのないものではあり得ません。例えば特車2課のキャラクターにしても、5人の隊員を基本とした配置は古典的なですが、そこに盛りつけた性格とバランスのズラし方が面白いわけです。観客は、実はかなり保守的なものです。もし、過去に例がないまったく新しいキャラクターなり、ドラマが市場に提案されたとしても、それはまったく受け入れられないものとなってしまうでしょう。

 ロボットアニメというなじみのあるフォーマットの中で作品を観ながら、期待に応えてくれる部分、裏切られたりする部分をともに楽しみながら、気がつくといつの間にか遠いところに連れていかれている──観客は、作品をそういう風に受容するものだと思います。過去エポック・メイキングとなったヒット作も、ほとんどがそうだったはずです。

 ですからスタンダードに準拠するということと、新しい作品をつくるということは何ら矛盾しません。観客たるもの、定石として打っている部分とチャレンジの部分はきちんとかみ分けて、総合的に評価をするようにしたいものです。

 ひとつ大事なことがあります。『パトレイバー』もまた、時代の中であるデファクト・スタンダードを提示したということです。ビデオアニメ全6巻各4800円という仕様ひとつとっても、後に多くの作品がその形態でリリースされました。また、リスクヘッジのために複数企業が組むという製作方法も、お手本になっていると思います。

 ビジネスの枠組みにしても、作品のスタイルにしても、新しいことを始めるときには言葉で呼びかけても仕方がないことで、実作を市場に投入して初めて何かを提案することになるのです。提案側には勇気も必要ですが、それは市場を活性化し、発展に貢献するものでもあるのです。そういった明日のデファクト・スタンダードに結びつくような意欲ある動きには、これからも注目していきたいと思います。

【2002年5月27日脱稿】初出:「月刊アニメージュ」(徳間書店)