女王様のご生還 VOL.14 中村うさぎ

弱くて愚かな人間の楽園があればいいなと、最近よく考える。

この世の中、強くて賢い人間ばかりが声を張り上げ、己の「快・不快」をあたかもそれが「正義」であるかのように、他人の生活にまであれこれ指図をするから、弱くて愚かな人間たちはどんどん社会の隅っこへと追いやられてしまう。



強くて賢い人間たちが他者への洞察力に富み寛容であればいいのだが、どういうわけか彼ら彼女らは己の価値観以外のものを認めないという、えらく狭量な心の持ち主だ。

そもそも己の独善を正義と勘違いする時点で、その傲慢さときたら呆れるほどであるが、それもこれも彼ら彼女らが「正しさ」にこだわり続けて生きてきたからなのだろう。



私は「正しさの人」を信用しない。

正しい人などこの世にいないし、正しさを主張する者ほど己の歪みに鈍感だからだ。

曲がった物差しで他人を測り、「あなたは歪んでいる! ただちに矯正せよ」などと言われても、「じゃあ、あなたは歪んでないんですか?」と訊き返したくなる。

人間は、誰しも歪んでいるものではないか。

どの歪みが正しいかなどと論議するだけ無駄である。

己の歪みを認め、他者の歪みをどれだけ許容できるか……それこそが今の社会に求められている「寛容さ」ではないかと私は思うのだ。



私たちは自ら選んで「私」に生まれてきたわけではない。

正しくない性癖、正しくない欲望、正しくない認知を生まれながらに抱え、悩み苦しみながら生きていくのが人間ではないのか。

己の正しさを何の疑いもなく他者に押し付ける人々は、己の歪みに気づきもしないほどの内省の欠如こそが最大の歪みであることに、何故思い至らないのか。

自分とは違う人々を、どうして思いやることができないのか。



こういう人たちが統べる社会に、私のような弱く愚かな人間の居場所はない。

だから、とっとと社会の外に出て、彼ら彼女らの手の届かない場所に愚者や変態の楽園を作りたい。

どんなに愚かでもバカにされず、自分なりの幸福を夢見て生きていける、そんな楽園である。

正しい幸福なんかいらない、そんなの私の幸福じゃない。

間違ってても歪んでいても、他者に危害を加えない限り、どんな幸福があってもいいじゃないか。

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