女王様のご生還 VOL.184 中村うさぎ

ずっと以前に小倉千賀子さんと対談をした折に、小倉さんが「欲望とは他者の欲望ですよ」とおっしゃった。

ラカンの有名な言葉らしいが、当時も今も、その言葉がまったくピンと来ない私である。



たとえばこれまで私をずっと突き動かしてきた欲望は「私という人間を知りたい」という欲望であったが、それって他人の欲望だろうか?

私の欲望じゃないの?

だって私にこんなに興味を持ってる人間なんて、この世に私しかいなくない?



私が他者と関係するのは、他者を通して自分を知るためである。

他者は私を写す鏡だ。

他者という鏡がないと、私は自分を認知できない。

それは他者の中に自分に似た部分を探すという作業だけでなく、他者との相違によって己の輪郭を確認するという作業でもある。

他者が私に何を期待しているかとか、他者が私をどう解釈しているかとか、そんな事にはあまり関心はない。

たいていの他者は私を大いに誤解しているし、私も他者の理解を欲したりその期待に応えようとする気はほとんどないからだ。

私は、私にしか興味がない。



もちろんこんな私にも「承認欲求」というものはある。

むしろ、若い頃はそれが人一倍強かったと思う。

だが、ある時期から、他人の与えてくれる「承認」なんかどうでもよくなってきた。

だってみんな私を好き勝手に承認あるいは否認するけど、そのどれひとつとして「私」じゃないもん。

どんなに他人が承認してくれても、私が納得しなければ何の意味もない。

同様に、他人が私を全否定したところで、私が心から自分にOK出せるならそれでいいのだ。

要するに、私は私に承認されたいのである。

私の存在の意味は私が決める。

私という人間の価値も私が決める。

他人のつけた値札やレッテルなど無意味だ。

そんなものは、それこそ「他者の欲望」に過ぎない。



先日、久々に「神」について考えた。

私は、いわゆる「全知全能の神」の存在を信じていない。

私の運命を「神」などという他者に決められるなんてまっぴらだからだ。

私の運命は、私自身の選択と、あとは「偶然」という何とも掴みどころのない不確定要素によって決まるのだと考えている。

そもそも「全知全能の神」なんかが存在するなら、何故、この世はこんなに不条理なのだ?

世界が不条理なのは「正しい解」が存在しない事の証であり、すなわち「神の不在」を示しているのではないか?



では、私は「神」というものの存在をまったく信じていないのだろうか?

そんなことはない。

正直、頭でどんなに否定しても、私は心のどこかで「神」の存在を感じ取っている。

単なる願望ではなく、実感として確信しているのだ。

これはもうどうにも説明しようのない感覚の問題である。

幼い頃からの刷り込みの賜物なのかもしれないが、ある瞬間に不意に気配を感じるというか、「ああ、いるな」と感じてしまう。

なんだかインチキ臭い霊能者みたいな言い草で自分でも気持ち悪いのだが、そういう感覚が私の中に存在するのは紛れもない事実なのだ。



で、その場合の「神」は、例の「全知全能の神」ではない。

もっとプライベートな、いわば「私だけの神」だ。

他人の人生を左右するような力もなく、ましてや世界を救ったりすることもできない非力な神。

どこかの家の庭の片隅にひっそりと祀られているお稲荷さんみたいな、そんな小さな神様が、私の心の中に確かに存在するのである。

そして私は、その神様に承認されたいのだ。

いやもうほんとに、そのためだけに生きているようなもんだよ、私は。

どんなに他人が、世間が、社会が「NO」と言っても、私の神様が「YES」と言えば、それでOK。

同様に、誰がなんと言おうと私の神様が「NO」なら、絶対にやらない。

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