[歴史発想源] <武心の源流・幕末日野篇> 第二回:多摩に広がる実力主義「天然理心流」

黒船来航によって武士だけではなく農民や町民も自ら戦う準備が必要だ、という意識が急速に広まった幕末の関東地方。それによって武蔵国多摩(東京都西部)で剣術流派「天然理心流」を学ぶ領民が爆発的に増えていきました。

幕末史に大きく名を残す新選組を生むことになる「天然理心流」は、江戸では比較的新しい流派であるにもかかわらず、なぜ他の有名な剣術流派を差し置いて多摩地方に広がったのか。

そして、新選組結成を語る上で外すことのできないキーパーソンとなる人物・佐藤彦五郎がいよいよ登場。11歳にして過酷な責務を負うことになります。

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新選組の活躍と並行して幕末時代の多摩地方を描いていく「幕末日野篇」、第二回をどうぞ!



▼歴史発想源「武心の源流・幕末日野篇」〜佐藤彦五郎の章〜

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【第二回】多摩に広がる実力主義「天然理心流」

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■実用的で実力主義の流派が求められる

早くから日本の国防の重要性に気づいて領民たちに武芸を推奨した、韮山代官の江川英龍。

その意を組んで、武蔵国多摩地方(東京都西部)には「天然理心流」という剣術流派が急速に広まっていきます。

その頃は北辰一刀流、神道無念流など、江戸の街に数多くの有名な流派の道場が立ち並んでいたのに、なぜその中で天然理心流が多摩地方の人々に選ばれていったのか。

それには、大きな理由が2つあります。



天然理心流は、1800年頃に江戸にやって来た近藤内蔵之助(こんどう くらのすけ)という剣客によって創始された、江戸の諸道場の中では比較的新しい流派です。

多摩地方に天然理心流が広まった理由の一つは、……

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