「大政奉還」「王政復古の大号令」を経て、薩長同盟軍と徳川幕府軍の衝突は激化。そんな頃、関東では薩摩藩の藩士たちが江戸の町を混乱させるために甲府城を乗っ取るというとんでもない計画を打ち出し、甲州街道を西進し始めました。
この薩摩藩の陰謀に、甲州街道の日野宿の名主・佐藤彦五郎が立ち向かうことになります。韮山代官所からの要請を受けた佐藤彦五郎は、薩摩藩の甲府城乗っ取り計画を阻止できるのか?
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新選組の活躍と並行して幕末時代の多摩地方を描いていく「幕末日野篇」、第五回をどうぞ!
▼歴史発想源「武心の源流・幕末日野篇」〜佐藤彦五郎の章〜
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【第六回】八王子宿での死闘「壷伊勢屋事件」
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■薩摩藩の関東動乱計画、甲州街道を走る
「王政復古の大号令」が行なわれて、長州藩や薩摩藩の志士たちが天皇をトップに据えて江戸幕府の廃絶を世に知らしめた、慶応3年(1868年)12月。
江戸幕府の本拠地である関東でも、不穏な動きが出てきていました。
現在、幕府トップだった徳川慶喜は大阪城に入っており、旧幕府軍の主力は関西にやってきていますから、江戸やその周辺の関東地方は手薄になっています。
そこで、薩摩軍の責任者・西郷隆盛(さいごう たかもり)は、関西に集結している旧幕府軍を混乱させるため、後方の関東で動乱を起こして焦らせてやろうと画策し、薩摩藩の江戸屋敷に浪士たちを集合させます。
そして、同年12月13日、上田務(うえだ つとむ)という薩摩藩士が西郷隆盛の密命を帯び、数人の薩摩藩士を率いてこっそり江戸を出発し、甲州街道を西へと向かいます。
上田務たちが甲州街道を急いで西進するのは、とんでもない計画のためでした。
旧江戸幕府軍の主力が西日本に移っている間に、甲府城(山梨県甲府市)に少人数で紛れ込んで薩摩藩が乗っ取ってしまおう、という陰謀だったのです。
甲府城は幕府の直轄地ですが、もともと江戸城を西側の敵から守るための軍事拠点として考えられてきた城。
甲府城を乗っ取れば関西の幕府軍は動揺するし、また江戸城への攻撃のための拠点にもなりますから、ここを押さえることができれば旧幕府軍をピンチに陥れることができるのです。
しかし、……