年貢(貧富の差のあり方)~武田邦彦集中講座 日本の超重要問題(3)

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◆「お米の年貢」からみる日本の古来からの平等性

最近、著者は「共産主義というのはまだ世界でどこの国も実現していない」ということを盛んに発信していますが、「良い共産主義」もむつかしいし、「良い資本主義」というのもなかなかむつかしいようです。

資本主義も共産主義も、その目的は「最適な社会システムを作り、国民が幸福になる」ということを目的にしています。資本主義は「資本を中心に効率的な社会を作り、富を国民で享受する」というものですし、共産主義は「効率性を落としても平等に幸福な人生を送る」ということです。ところが、現代のアメリカは、人口の1%の人が国の富の50%を握るといわれていますし、共産主義はソ連で2300万人の国民、中国で6700万人の国民が殺されていますから、到底「幸福になる体制」ではないことは明らかです。

ところが、現代より約1500年から2000年前、「平等社会、貧富の差をできるだけ少なく」という制度を作った国があります。それが「日本」なのです。

日本が「古事記」を編纂して国のもととなる思想を作り上げたのは1300年ほど前です。古事記には、「神様=天皇=国民」と位置づけ、その国民を統治する人を天皇が任命するという日本国の基本的な骨組みが記されています。国民のことを「おおみたから」と呼びますが、「百姓」、「人民」、「民」を「おおみたから」と呼びました。

日本以外のほとんどの大きな国は、皇帝、王様が民を「私有物」とみなしていましたので、戦争に勝つと敵の民を「奴隷」にしました。これに対して日本には例外を除いて「奴隷」という身分は存在せず、戦争に勝った殿様がそこに住んでいる住民を奴隷にして連れていくということもありませんでした。

つまり、日本での殿様の身分は「天皇に頼まれて民を統治して幸福にする」ということだったのです。日本の繁栄や日本の軍隊が強かったのは、平等社会だったからです。

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