女王様のご生還 VOL.108 中村うさぎ

母はボケたおかげで理性の抑圧が外れ。本音を語るようになった。

ある意味、正直になったと言える。

生の感情をぶつけられて「そんな風に思ってたのか」と驚く時もあるが、以前から彼女には欺瞞的な部分を感じていたので、私としてはむしろ正直な方が好ましいくらいだ。



特に父に対する彼女の激しい恨みや怒りの感情には、驚かされることが多い。

ボケ老人は家族に対して攻撃的になるというが、私はそれを「認知症の一症状だから本心じゃないよ」などとは解釈しない。

「たぶん、これが本音なんだろうなぁ」と思ってしまうのだ。



先日上京した時も、喫茶店でお茶を飲みながら、彼女は父の悪口をずっと言っていた。

その中で、彼女がふとこぼした言葉がある。



「私は子供が大好きで3人くらい欲しかったのに、お父さんが産ませてくれなかったのよ」

「え、そうなの?」

初耳だったので、私は驚いて訊き返した。

「私がひとりっ子なのは、子供ができなかったんだと思ってた。違うの?」

「違うわよ!」

母は吐き捨てるように答えた。

「作らなかったのよ!」

「なんで?」

「子供が嫌いだからよ! 夜中に泣いたりするから」



そういえば、私の古い記憶にも、そんなシーンがある。

私は幼い頃、よく怖い夢を見た。

いつも同じ夢で、目の吊り上がったキツネの面のような怖い顔の化け物が現れる。

ある晩、そいつが夢の中ではなく、現実の世界に現れた。

私が両親と一緒に寝ている寝室の片隅に、2メートル以上はあろうかという巨大なそいつが立っていて、じっと私を見ているのだ。

それを見て恐怖に慄いたものの、自分が泣いているという意識はなかった。

が、おそらく私は脅えて激しく泣いていたのだろう。

母が私を胸に抱え、父に向って「子供なんだから仕方ないでしょ! あなただって具合の悪い時とかあるでしょ! 子供だから泣くしかできないのよ!」と叫んでいたのだ。



私はべつに具合が悪かったわけではなく、部屋の隅にいる化け物が怖かったので、母の必死の抗弁を聞きながらも心の中で「いや、違う……」と思っていた記憶がある。

せっかくかばってくれてるのに、文句の多いガキである(笑)。



私が「この世にいるはずもないもの」を視たのは、後にも先にも、この時だけだ。

あの化け物は何だったのだろうと今でもたまに思い出すが、おそらく私の「恐怖」の具象化だったのだろう。

でも、私は何にそんなに怯えていたのか?



父なのかもしれない、と、ふと思った。

怖い夢を見て夜中に泣く私をうるさがり、イライラして怒鳴りつけたのは、あの夜が初めてではなかったろう。

怖い夢から醒めたら、もっと怖い父の姿を目の前にして、幼い私の脳はそのイメージを部屋の隅の空間に描いたのかもしれない。

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