女王様のご生還 VOL.250 中村うさぎ

SNSが登場する前から、私は女子高生たちのプリクラ集めに違和感を抱いていた。

友人と撮ったプリクラを手帳に貼って「こんなに友達いるんだよ~」とアピールしていた彼女たちは、たいして親しくもない知り合いとのプリクラもコレクションに加えるようになり、最終的には名前も覚えていないような行きずりの子ともプリクラを撮って分厚いプリクラ手帳を持ち歩くようになったのである。

何なんだ、これは……と、当時既におばさんだった私は気持ち悪さに身震いした。

友達が多いのって、そんなに自慢か?

ていうか、友達でも何でもない他人の写真を肌身離さず持ち歩くか?



以前にも書いたと思うが、私は職場のデスクに家族の写真を飾るアメリカ人の「幸せアピール」が嫌いだ。

女子高生たちのプリクラ集めには、それと同じ匂いがする。

私は夫が大好きだけど、彼とのツーショット写真なんか一枚も持ってない。

そもそも写真嫌いなのもあるけど、それ以前に、そんな写真をわざわざ撮る意味がわからないのだ。

さすがに結婚パーティーの時はツーショット写真を撮ったはずだが、そんなものとっくにどこかの段ボール箱の中で永遠の眠りについている。

昔、TV局や雑誌社の人から「結婚式の時のツーショット写真を貸してください」と言われて貸したまま、散逸してしまったものも何枚かある。

はっきり言って、どうでもいい。

そんな写真があってもなくても、私たちの関係に影響はないからだ。



プリクラの数で友人の数を競った少女たちは、今やSNSのフォロワーやいいねの数を競っているのだろう。

まぁ、あくまで個人の趣味だから好きにすればいいと思うが、そんな風にフォロワーやいいねの数で何を満たしているのかを考えると、ちょっと痛々しい気分になる。

要するに、彼女たちは幸せじゃないのだ。

プリクラ集めをしていた頃からずっと、彼女たちは「私は孤独じゃないもん! 友達もいっぱいいて幸せだもん!」と必死になって叫びながら生きているのだ。

それはもう「幸せ強迫神経症」と言ってもいいかもしれない。

強迫神経症の患者が一日に何度もガスの元栓やドアのロックを確認せずには安心できないように、彼女たちもまたSNSで常に幸せを確認しなければ不安でいてもたってもいられないのである。

少しでも気を抜けば、孤独の冷たい手が忍び寄って来て、自分を奈落の底に引きずり込むとでも思っているのだろうか。

ああ、たぶんそうなんだ。

孤独な人間は不幸だと思い込んでるから、そんなにも孤独に怯える。

自分が孤独だと悟られたくないから、そんなに必死で幸せアピールする。

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