アニメの珍味 第1回「音にこだわる(その1)」

《前説》「珍味」とは噛めば噛むほど味の出るつまみで、いろんな加工をしたものですね。アニメもこだわり次第で珍味が出るんではないか、って意味です。大学や高校のアニメ研には、やたら細かい話をする「センパイ」なる人種がいたものですが、そんな雰囲気も出したいと思っています。またよろしくお願いします。

●アニメの音にこだわる

 最初の話題は、「アニメの音」についてです。アニメで流れている「音」に関して、あれこれ思いつくままにお話をしてみましょう。

 アニメに音がついているのは、当たり前ですね。しかし、どうしたことかアニメではみんなキャラクターやメカ、画面の話はしても、音の話はなかなかしない。声優さんの発する声は音のうちですが、あれはキャラクターの一部でもあるわけで、音の善し悪しや効果音のつけ方については、話題になることが少ない……そう思いませんか?

 だいたいアニメがステレオでTV放映されるのが当たり前になったのは、やっとここ数年のことですよね。『美少女戦士セーラームーン』だって、テレビでは第1シーズンは帯域の狭い光学録音(フィルムに焼き付けられた音)で放映していたし、最後(1997年)までステレオにはならなかったんじゃないかなあ。

 最近ようやく5.1chなど、そういうシステムが流行するようになって、少しは気にされるようになったけど、その前のステレオ放映が始まったときとか、映画がドルビーサラウンドになったときには、音のこと、音質であるとか音場であるとか、効果音の種類と作用、音の演出などのことは、ほとんど気にしてもらえなかったように思えますね。

 ちなみにステレオのテレビアニメは『ルパン三世(新)』の途中からなので1979年ごろ、映画が業界標準のドルビーデジタルになったのは1982年の『コブラ』、まあ映画の場合はそれ以前にも各社の方式による立体音響化はいくつか例がありますが、こういうこともほとんど書いてあるのを見かけないですよね。それくらい一般的に関心が低い、ということなんでしょうね。

 実際、アニメの制作でも絵が先行しており、あがったフィルムに最終段階で「音をつける」というプロセスが取られています。それも、この関心の度合いを左右している要因かもしれません。

 でもアニメは絵と音が同時に走って表現をしているものだし、そもそも人間の知覚は、かなりの部分は音にたよっているらしいんですよ。ということは、アニメの持ち味には「音」はかなり左右される部分がある、ということなんですね。

●人間と音の関係

 人間がどれくらい音に依存をしているのか……ちょっと脱線して私の体験に基づく例を挙げてみましょう。

 私は電話機の開発をしていたことがあるんですが、こういう仕事や音響関係の開発をしていると、評価実験をするために「無響室」という部屋を使います。これは上下2フロアぐらいぶち抜いた広いスペースになっていて、反響・残響などがいっさいなくなるように壁を凹凸のついたブロックのような特殊な材料で覆った特別の実験室なんです。音だけの評価に集中するために、一切の他の音をシャットアウトした部屋です。

 円谷プロの『怪奇大作戦』というテレビ映画で、実相寺昭雄監督「恐怖の電話」というエピソードがあります。電話の音波を使って殺人をするという仕掛けのあるプロットで、目撃者役の桜井浩子を岸田森が「この音ですか?」と尋問するシーンがありますが、あの部屋が無響室です。開田裕治さんの手でLDジャケットにもなったこともある有名な場面でしたね。

 開発の途中で、何度も無響室には入ったことがあります。それは日常から切り離されたなかなか得難い経験でした。しばらく無響室にいると、強烈な不安感みたいなものに襲われるんですよ。たとえて言うと「音の無重力帯」というのか……ダイビングをはじめてやると、重力の束縛から離れて自分がどこにいるのか判らなくなる感覚がありますよね。あれは意識していなくとも普段、人間の身体は重力を感じているということなんですが、それと同じような感覚が、音をシャットアウトしたときにも起こるんです。「静寂」という言葉がありますが、まさにこの言葉通りです。どんな静かに思える場所でも、音は実際には「ある」ということが、すべての音を失ってわかるんですね。

 無響室にいて、外から来る音、音の反響をまったくカットしただけで、自分が正しく立っているのかどうかすら判らなくなる、ということも起きます。たとえば鉄格子になっている床を歩くと、カチャッという直接音は耳に届いて聞こえるんですが、それがまったく残響をともなわないので、正しく歩けたのか、自分がどれくらいの大きさの部屋のどこら辺にいるのかが把握できなくなる……そういうことが起きます。それが不安のもとになる感覚だったんです。つまり、これぐらい人間は無意識のうちに音を手がかりにしながら、いや音に依存しながら生きている、ということなんですね。

●ガンダムの5.1ch化

 最近、「音」が話題になった例ですと、『機動戦士ガンダム』の劇場版が昨年末にDVD化されたときに、5.1ch化されたというのがありましたね。かなり賛否両論があった話題作でもありました。

 否定される側の気持ちもよく判ります。アニメでは「効果音」はキャラクターの一部として作用することが多いですから。「ガンダムの音」っていうと、やはり歩くときには「ダグキン! ダグキン! ダグキン!」でなくては、ってことなんでしょうね(笑)。たしかに、銃を構えたりするときには「グワッブワァウリ、チュゥーン!」とか、ビームサーベルで切ったら「コワキギギキギギ……ビキューン!」とかってのは刷り込まれちゃってるよなあ。特に私自身は、20年前に「ドラマ編」アルバムの仕事で調整室でくる日もくる日も、映像のない「音だけのガンダム」をずっと聴き続けていてたから、もう身体に染みついちゃっていると言っても良いですね。

 でも、同時にいろいろと思うこともあったわけですよ。先の「ダクギン!」歩行音は、イシダ・サウンドプロがつくり出したいわゆる定番のロボット足音なんですよね。タツノコプロの『科学忍者隊ガッチャマン』と『新造人間キャシャーン』あたりで、その後20年くらいの「メカ&ロボットアニメの音」ってのが決まったようなところがあるわけで。ライディーンだってコン・バトラーVだって、ガンダムと同じ足音なんですよ。むしろ私は「あ! 鉄爪ロボット(キャシャーン)だ」と思ったくらいで。

 ガンダムもせっかく5.1chで音が変わったんだから、それをネタにいろいろ音のことについて考えてみるのも良い機会ではないでしょうか。

 というあたりで、続きは次号です。

【2001年5月18日脱稿】初出:「月刊アニメージュ」(徳間書店)