女王様のご生還 VOL.200 中村うさぎ

私がエロ表現規制に反対したりペドフィリアを擁護したり一部のフェミニストの行き過ぎた(と、私には思える)抑圧運動を批判したりすると、必ずといっていいほど「あなたは男性社会で優遇されてきた人間だから男性側の目線に立っており、他の女性たちが男性たちから受けた傷の痛みがわからないのだ」と怒る人がいる。

しかしですね、私の世代はまだ男女雇用均等法もなくセクハラという概念も存在せず、何の罪悪感もなしに女性差別をする男性たちに囲まれてめちゃくちゃ嫌な思いをしてきた世代なんですよ。



フリーのコピーライターをしていた頃は「仕事欲しいならセックスさせろよ」とか「女はいいよな。パンツ脱げば仕事で優遇されるし」なんてぇ台詞を平然と浴びせられ続けたし、大学生の頃には「なんで四年制大学なんか行っとるん?女は専業主婦なんねんから大学行く必要ないやろ」と真顔で言われた事も何度かあるし、所属になった男性上司に挨拶に行くと初対面でいきなり「俺、女の部下って嫌なんや。仕事できへんくせにすぐ泣くし」などと決めつけられたし、自分が女であるせいでなんでこんな屈辱的な事を言われなくてはならないのかと悔しさで震えた経験なんか山ほどある。

取引先の広告代理店のアートディレクターから不正なキックバックを要求されて断ったら「へぇ、裏切るんや。やっぱり女は信用できへんなぁ」と言われて仕事を干された時には、不正な裏取引を断って「裏切り者」呼ばわりされるのも驚きだが、ましてやそれを「女だから」という差別的な理由に還元する相手に呆気にとられた。

女だからじゃねーよ、これは個人の倫理観の問題だ。

そんな不正に加担してまで仕事貰う必要なしと私が判断したからで、そこに男女の別なんかない。

でもそのアートディレクターは「女だから」という理由をつけて私の拒絶を侮辱しなければ、自分のやってる事への後ろめたさと恥ずかしさを払拭できなかったのだろう。



私の経験から言わせていただくと、男が女を不当に蔑視したがるのは、主に自分を守るためである。

仕事で負けたら「あいつが俺に勝ったのはきっとパンツ脱いだからだ。ちっ、女ってズルいよな」と思いたがり、恥ずべき行為を強要して拒絶されたら「自分が悪いんじゃない。相手が理屈も社会性もない『女』という感情的な生き物だからだ」と決めつけたがる。

20代の頃は本当にこのような男たちの「自己正当化のための女性差別」に腹を立てていたが、30代になってから彼らに少し同情するようになった。

自分の優位性を確認するために自分より劣位の存在を必要とする彼らの在り方、そしておそらく子供の頃から「女に負けるなんて男の恥だ」と教え込まれて来たであろう教育環境、それなのに社会に出たら自分より優秀だったり毅然と反論したりする女がいるという現実。

彼らはそんな現実に耐えられず、女を殊更に貶めて弱くて無能な自分を慰めるのだ。

これって、すごく気の毒じゃない?

女だというだけで不当にバカにされた私は、しかしそれでも仕事の出来で見返すという手段がある。

そいつよりうまい文章を書き、誰もが認めざるを得ない実力の差を示せば、周囲はそのうち黙り込む。

それでも「女だから」とか「女のくせに」とか言い続ける相手は、もはや何をしても何を言っても無駄だから無視すればいい。

そうやって差別を楯に自分を守り続ける生き方をしていればいいのだ。

そのうち置いてけぼりにされるのは向こうの方だ。

自業自得だ、勝手に自滅しなさいよ。



おそらく私より年下の女性たちは、あれほど露骨な差別を受けずに生きてこれたと思う。

時代は確実に変わり、女性に対して差別的な扱いや性的な言動をする男性たちは減少した。

下の世代たちがあんな理不尽と屈辱に晒されずにすんで、本当によかったと思う。

そういう意味では、フェミニズム運動には大いに感謝しているのだ。

ただ一部のフェミニストに苦言を呈したいのは、被差別側が力を手にした途端に今度は差別していた側を抑圧しようとかかるのはフェアじゃないだろ、と思うからである。

「女」というレッテルを貼られて抑圧される側の怒りや苦しみを誰より知っているはずなのに、相手に「男」というレッテルを貼って「これだから男は」とか「男が悪い」とか決めつける自称フェミニストを見ていると、私は「それ、同じ穴の狢だから」とツッコミ入れずにいられない。

差別から解放された者が差別する側に回るという図式は、要するに、イジメられっ子がイジメっ子になるのと同じで、私の目にはめちゃくちゃ不毛に映る。

抑圧を撥ねつけて力や自由を得たのなら、それを他者への抑圧や報復に使わず、むしろ「誰も抑圧されることのない社会」に向けて行使すべきではないのか。

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