女王様のご生還 VOL.215 中村うさぎ

昔から「パーソナリティ障害」と呼ばれるものに興味がある。

以前は「人格障害」とも訳されていて、精神障害というよりは性格の障害というようなニュアンスで使われている用語だが、DSM5に記載された症状などを見ると「ああ、こういう人いるよね」とか「私にもこういうところあるな」などと思い当たる節が多々あり、読めば読むほど自分や友人知人が全員パーソナリティ障害に思えてくるという悪夢のような障害だ。



たとえば他者から傷つけられる事を恐れるあまり社会との接触を避ける「回避性パーソナリティ障害」なんて要するに「引きニート」のメンタリティそのものだし、他者の注目を欲して派手な服装や言動をする「演技性パーソナリティ障害」や誇大なナルシシズムを抱えて他者を見下す傲慢さと批判に極端に弱い脆弱性の両方を抱える「自己愛性パーソナリティ障害」なんてぇのも自分や他人の中に少なからず見かける傾向だ。

これを「障害」と呼ぶのなら、世の中の人のほとんどは人格障害者なんじゃないか?



このように、誰にでも心当たりのあるような精神状態や性格の傾向を「障害」と決めつけてしまうのはいかがなものか、という気がしてならない。

一般的に「障害」というのは、マジョリティである「健常」あってこその存在だ。

程度の差はあれ、世の中のほとんどの人が当てはまってしまうようなら、それは「異常」でもなく「障害」でもなく、そもそもそれが人間の習性というか「癖」みたいなものだと言えないだろうか?

他者の注目を集めるために過剰に自己を粉飾する「演技性パーソナリティ障害」なんてSNSの世界には山ほどいるし、自己評価とやらが異様に高く根拠もない(ゆえにひどく脆弱な)金ぴかの自己イメージを持つ「自己愛性パーソナリティ障害」なんてゴロゴロいる。

元々人間は根っから自己顕示欲の強い自惚れ屋なのだと思うのだが、違うだろうか?



「パーソナリティ障害」は、その歪みゆえに対人関係に問題を抱え周りも本人もストレスに苦しんでいる人々、と定義されている。

だが、対人関係に何の問題もストレスも抱えず易々と生きている人なんて、私の周りには皆無である。

みんな、「他者と私」という問題に頭を悩ませ、「世間と自分」のすり合わせに苦しみながら生きている。

それが人間社会というものだと、私は思っていた。

望みどおりの承認なんて滅多に得られないから不満は募るばかりだし、他者は自分を喜ばせてくれると同時に酷く傷つける存在でもある。

自分が傷つけられたと感じれば人は防御的になるものだし、その自己防衛は各自の性格によって回避的であったり攻撃的であったり懐柔的あるいは操作的であったりして然るべきだ。

「パーソナリティ障害」とは、要するに現代社会に生きるすべての人間が抱える宿病なのではないだろうか?

だとしたら、それは「障害」ではなく「常態」なのでは?

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