女王様のご生還 VOL.106 中村うさぎ

両親がまた上京してきたので数か月ぶりに会ったら、想定内ではあったものの。母親の認知症がかなり進行していた。

5分前に言ったことをすぐ忘れてしまって同じ会話が延々とループするのは以前からお馴染みの症状ではあったが、今回はそれにさらに拍車がかかり、1分おきくらいに同じ会話が繰り返される。

前は狭い庭の中をぐるぐると周回してるような会話だったけど、今はその半径が大幅に縮まって、まるで小さな水たまりの周りを何周も何周も廻り続けている感じだ。



父が昔の友人に会うというので、半日、母を預かった。

会ってすぐ母は「ここどこ?」と私に尋ね、「東京だよ」と答えるとえらく驚いて、

「東京!? 私、いつ東京に来たの?」

「3日前からだね」

「えええっ!? どうやって? 車で?」

「いんや、新幹線で」

「新幹線なんて乗った覚えがないわよ」

「でも、乗ったんだよ。だから今、東京にいるんじゃん」

「ここが東京……へえええっ」



と、このような会話をして一件落着かと思いきや、ふと首をかしげて真顔でこう言う。

「ねぇ、ここどこ?」

「東京だよ」

「東京!? 私、いつ東京に来たの?」



3日前からや言うとるやろーーー!!!!

以前はもう少し会話が前に進んでいた気がするが、今はもう1分おきに出発点に戻って来る。

こうやって母の時間はどんどん収縮していき、最後に小さな点になって動かなくなるのだろう。

そして、ほどなく消滅する。

肉体の死より前にその「時間の消失」点に達したら、母はどんな状態になるのだろうか。

「私はどこにいるの?」などという疑問も、もはや持たなくなるのだろう。

何故なら、「私はどこにいるか」という空間的概念は、時間の概念に依拠しているからだ。

さっきはあそこにいた、今はここにいる、次はどこに行く、という移動の概念自体が、時間の消失とともに消えるであろう。

そして残るのは、おそらく、「私」という不動の自我だけだ。

どこにいるのかはわからないが、「私」は確かにここにいる。

過去も未来もないが、「私」の今は存在している。

「今、ここ、私」……それだけが最後に残る概念だ。



生まれて間もない赤ん坊の頃も、我々はきっとそんな感じの世界に生きていたのだと思う。

自分がどこにいるかなんて考えない。

どこにいくのかも考えない。

ただ腹が減ったり眠くなったりはするが、それを「時間の流れ」とは認識していない。

認識しているのは、ただ「私は空腹だ」「私は眠い」といった「私」をめぐる感覚だけだ。

時間は永遠に「今」であり、場所は永遠に「ここ」である。

それが、人間の始まりと終わりなのだ。

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