女王様のご生還 VOL.226 中村うさぎ

今年最後のメルマガなので2021年の総括とか来年の抱負とか書こうと思ったのだが、生憎、特にこれといった感想もない。

今年は私にしてはかなり活動的な年だった。

正月から熱川に行ったり、夏には沖縄にまで足を延ばし、ずっと引きこもってた私にしては驚異の活動ぶりで、ようやく長い鬱期間から解放されたのかと思ったりもしたけど、その後すぐコロナによる強制蟄居生活に入って再び引きこもりに戻ってしまった(笑)。

なーんだ。結局、おまえは家でおとなしくしてろって事かよ。



あとビッグニュースといえば母親が死にかけた件だが、これは単に父が輸血を拒否るという判断ミスをやらかしたためで、入院させたら難なく持ち直した。

父は昔から人の話を聞かない男だったが、決してバカではない。

今回の判断ミスは彼が認知症である可能性を疑わせるものであり、母に続いて父までボケたらどうしようかと心配になった。

とりあえずボケかけた老人の独居生活は危ないので東京で面倒を見ようと考え、引っ越しを勧めたのだが、本人は嫌だと言う。

俺はひとりでも大丈夫だと言い張るので、全然大丈夫じゃねーよと心の中で呟きつつも、いい年した成人男性を強制転居させるわけにもいかず、しばらく様子を見る事にした。



ふむ、来年以降は、老いた父母の問題が一番のテーマになりそうだな。

64歳の娘が89歳の両親の面倒を見る……いわゆる「老老介護」というやつだ。

こういう事態になった時、これまでの親子関係が見直されるわけだが、母親はともかく父親と私は昔から良好な関係とは言えない。

「死んでも面倒見たるかい!」というほど険悪ではないものの、「お父さん、育ててくれてありがとう。お礼に死ぬまで献身的に面倒見るからね」などという殊勝な気持ちは皆無である。

これは私に対してさしたる愛情を示さなかった父親の問題でもあるが、親を含めて他人に愛情を持てない私自身の問題でもある。

そう、我々は似た者親子なのだ。

自分以外の人間に興味がなく、愛情も注げない。

どこまでも利己的なナルシシスト。

要するに欠陥人間だ。



キリスト教は「愛」を説く宗教であるが、私はついぞこの「愛」というものが理解できなかった。

理解できないから、当然、実践もできない。

しかも、中高一貫の私立校でキリスト教を説く教師たちを散々見てきたが、彼ら彼女らが本当に「愛」を理解し実践しているようにも見えなかった。

はっきり言って私は当時、「この人たちはものすごく視野が狭く、しかもその事にまったく無自覚なまま上から目線で人の道を説く愚かな偽善者たちではないか」と思っていた。

その頃から私はひどく傲慢だったのだ。

そして傲慢な人間は「愛」というものを理解できない。

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