女王様のご生還 VOL.224 中村うさぎ

以前にも書いたかと思うが、幼い頃の私は生きる気が全然なかったらしい。

赤ん坊の頃はミルクをまったく飲まず、医者に相談しても(昭和30年代の田舎医者なのでいい加減だ)「お腹が空いたらそのうち飲みますよ」と言われるばかりで何の処置も検査もなし。

離乳後もご飯を全然食べず、食べないから体力なくて寝てばかり。

このままでは死ぬと思った母親は、私に強制的に食べさせる方法を考案したそうだ。



まず、私の口に無理やりご飯を詰め込む。

呑み込まずにずっとモグモグしてる私の頬に思いっきり平手打ちをくらわす。

その衝撃に驚いて、私はゴクンと口中の食べ物を呑み込む。

一瞬茫然とした後、頬の痛みに私は大泣きを始める。

泣くために大口を開けた私の口中に再び食べ物を目いっぱい詰め込む。

私は目を白黒させながらモゴモゴと咀嚼するが呑み込もうとしない。

またしても、その頬に平手打ちをくらわす。

驚いた私はゴクンと呑み込み、泣こうとして口を開ける。

その口の中にさらに食べ物をば詰め込み……以下、その繰り返し。



この儀式は毎日行われ、隣の奥さんは昼食時になると響き渡る私の泣き声を聞いて「あら、典子ちゃんのご飯だわ。もうそんな時間なのね」とアラーム代わりにしていたと聞く。

いやぁ、とんだスパルタご飯である。

食事の度にビンタを食らって、よくトラウマにならなかったもんだと感心するが、ご存知のように今の私は食事にトラウマがあるどころか人並以上の食いしん坊だ(苦笑)。



生育環境や親の言動によって幼少期にトラウマを受けると一生引きずるという説を否定する気は毛頭ないが、どうも「トラウマ」という言葉が拡大解釈されてる感もあり、何でもかんでもトラウマのせいにする人たちに対して私はやや懐疑的である。

冗談で「トラウマになるわw」的な使い方をするのは全然OKだと思うけど、「私が生きづらいのは毒親やイジメによるトラウマのせい」という言い訳に使われるのを見聞きするたびに「人のせいにしてれば楽だよね」と心の中で呟かずにはいられない。

親や他人がいつでも理に適った行動をするとは限らないし、幼少期にはそれこそ不条理な出来事がいっぱいで、困惑したり怯えたりするのは当たり前だと思うのだ。

子供はそんな意味不明の世界になんとか順応しようと、ありとあらゆる方法を試しながら成長するわけで、最初から周りが理解に溢れ思いどおりに事が運んでお姫様みたいに大切に扱われる世界なんて存在し得ないし、仮に存在したとしてもそんな世界でその子はいったいどうやって成長するのか疑問である。



世界は自分の思いどおりにならない、という事を子供はまず知るべきだ。

そうでないと、その子は大人になっても「どうして、みんなは私を理解してくれないの?」(←他人だからだよっ!)などと嘆きながら、不当な扱いに対する怒りや恨みを募らせていく羽目になる。

だが「不当な扱い」というのは、ある意味、この世のデフォルトだ。

何も悪い事をしていないのに酷い目に遭う人なんて大勢いるし、生まれる環境も運命も選べない我々は物心ついた瞬間に世の不平等を目の当たりにする。

その中で、自分は何をよすがに生きていくのか。

それを探し求める旅が「人生」というものではないか。

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