女王様のご生還 VOL.129 中村うさぎ

今月初旬にまた両親が上京してきたのだが、母は相変わらずのボケっぷりで、またしても私を赤の他人と思い込み、ホテルの部屋でくつろいでいる私に「早く帰って!」と追い出しにかかる始末であった。

以前、やはりホテルの部屋のベッドに寝そべってた私を「夫の愛人」と思い込み「こんな女を連れ込んで!」などとプンプン怒った経緯があるので、今回は私も驚かず素直に帰ることにした。

が、私は足が不自由なので、ひとりでタクシー乗り場まで歩けない。そこで父が私を下まで送ろうとしたら、母はますます腹を立て、

「なんであなたがこの人を送るの!? 勝手に家に入ってきていつまでも居座ってる方が悪いんでしょ! 送ってあげる必要なんてないじゃない!」

「だってこの子は足が悪いんだよ。ひとりで下まで歩けないんだ」

「嘘ばっかり!」

吐き捨てるようにそう言った母の私を見る目の憎々しさに、私は悲しみも憤りも覚えず、ただただ興味深さが募るばかりであった。



彼女のこの妄想を「嫉妬」と解釈するのは、はたして正しいのだろうか?

娘の顔を忘れて「夫の愛人」と勘違いし、怒りと憎しみに燃えて部屋から追い出そうとするその言動は、普通に考えれば「嫉妬」以外の何物でもない。

現にこの話を聞いた友人は「ボケても旦那さんを愛してるのねぇ」という感想を述べた。

だが、なんか違うと私は思う。

母が怒っているのは夫への愛とか、そんなんじゃない。

たぶん「テリトリーの侵害」に対する怒りだと思う。

何故なら彼女が私に攻撃的になるのは、必ずホテルの部屋の中でだからだ。

「ここは私の家なのに他人が図々しく入り込んでいる」という怒りである。



前回、彼女が私を「夫の愛人」と決めつけて怒りだした時も、彼女がまず口にしたのは「人の家のベッドに寝そべって足をにょきにょき伸ばして」という言葉だった。

「足をにょきにょき」はなかなか面白かったが、とりあえず彼女が一番言いたかったのは「ここは私の家なのに」であろう。

私は彼女のテリトリーに勝手に入り込んだ見知らぬ侵入者なのだ。

そこがまず彼女を怒らせ、その次に「この侵入者はいったい誰なのか?」という疑問が浮かび、さらにこの侵入者を承認しているかのごとき夫の態度も腑に落ちず、結果、「この女は夫の愛人に違いない」という推論が構築されたのだろうと思う。

いや、あくまでも憶測だが。



私がこのように感じるのは、彼女が涙も流さず、ただただ怒っていたからだ。

もしこれが「嫉妬」であれば、そこには怒りだけではなく悲しみが生まれたはずだと思う。

だが彼女の言動には「愛する夫が他の女に心を移した」という悲しみは窺えず、「なんで知らない女が家にいるのよ!」という怒りだけだった。

要するに「私の家」という「テリトリーの侵害」であり「所有物の侵害」だ。

彼女は夫の浮気に憤慨しているのではなく、「私の物」を他人が我が物顔に使っていることが我慢ならなかったのだ。



前回は、ひとしきり怒っている最中に突如「ここは私の家ではない」という事実に気づき、「この家はいったいどこなの? 私の知らない間にこんな家を買って愛人を囲ってたの!?」という妄想に発展した。

これもまた「嫉妬」の産んだ妄想と解釈しそうになるが(現に当時は私もそう解釈した)、今にして思えば必ずしも「嫉妬」ではない気がする。

おそらく彼女が怒っていたのは「財産の侵害」なのだ。

「私のお金を勝手に他人に遣った」という怒りである。



認知症になってから、母は財布の中の金を家のあちこちに隠すようになった。

どうやら「誰かが財布から金を盗む」という妄想に取り憑かれているらしい。

その結果、押し入れやゴミ箱の下から、彼女の隠した万札が出てくる。

本人は自分が隠したことも忘れているから、「なんでこんな所にお金が!」と毎度驚くらしい(苦笑)。

そのたびに父は「おまえだよ!」とツッコむのだが、本人は頑強に否定する。

まあ、覚えてないのだから仕方ない。

物忘れが酷くてしょっちゅうバッグや財布を失くすため、銀行のカードや預金通帳や印鑑などの大事な物は父が預かることにした。

ところが母は、「お父さんが勝手にカートや通帳を取り上げて、私の金を盗んでいる」と電話で訴えてくる。

自分の夫を泥棒呼ばわりだ。

これもまた、言うまでもなく「財産(所有物)の侵害」問題である。

もともとはすべて父が働いて稼いだ金であり、決して母の金ではないのだが、そんな事実は頭からスッポリと抜けて、とにかく「私の金を盗まれた」と主張する。

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