女王様のご生還 VOL.31 中村うさぎ

先日、明け方にひとりで帰宅して(久々の夜遊び!)タクシーを降り、杖突きながらヨロヨロとマンションに入ろうとしたら、ひとりの男性が後ろから「大丈夫?」と声をかけてきた。「ええ、大丈夫です」と答えながらオートロックを開けたら、急いで手を取ってエレベーターの前まで連れて行ってくれた。

「足、怪我したの?」

「はぁ、まぁ……(←病気の説明をするのが面倒くさいので適当な返事)」

「そう、大変ね。私も足を怪我したよ」

男はおどけた様子で、自分の足を指差す。

「私、中国人よ」

「そうですかぁ」

このマンションの住人なのだろうか。新大久保という土地柄、韓国人や中国人やフィリピン人が多いのだが、見た目はほとんど区別がつかない。

しかしまぁ、どこの国の人だろうと、とにかく手助けしてくれてありがたいのは確かだ。

などと思いつつ、しばらく二人でエレベーターを待つながら会話を続ける。

「あなた、ひとり暮らし?」

「いえ」

「お父さんと住んでるの?」

「いえ、夫と」

「そう」

彼は人懐こく微笑み、エレベーターのドアを押さえると、

「どうぞ。レディファーストよ」

「ありがとう」

礼を言ってエレベーターに乗り込んで彼を待ったがニコニコ笑ったまま動かない。

「あの……乗らないんですか?」

「ああ。乗らない。あなた、先にどうぞ。私は後で」

「でも……」

「ちょっと、ここで電話するから」

なるほど。エレベーター内は電波悪いからな。

そう納得して会釈し、そのまま自分の家に帰った。



で、夫にその顛末を話したところ、

「あんた! それ、レイプ魔かもしれないよ!」

「ええーっ? 違うでしょ。普通に親切な人だったよ」

「オートロック開けたの誰? あんた? その男?」

「私だけど」

「で、そいつはオートロックの中まで入って来たんでしょ?」

「そうだけど、たまたま私が先にオートロック開けただけで、その人もここの住人じゃないのかな」

「なら、なんでエレベーター乗らないの?」

「電話したかったみたいよ」

「いや、おかしい。なんか挙動不審。絶対に住人じゃないね。あんたについて入って来た侵入者よ」

「いや、だからそれは、私がヨロヨロしてたから手を貸してくれたんだよ」

「違うね」

なんと疑り深く心の歪んだ男だろう、と、私は呆れて夫を見つめた。

親切に手を貸してくれた人をレイプ魔呼ばわりとは失礼じゃないか!

しかし夫は自信満々に、なおも言い募る。

「だいたい、あんた、警戒心が無さ過ぎ。知らない男がついてきたら、マンションに入れちゃダメよ」

「いやぁ、でもさ、せっかく親切に……」

「親切なふりしてるだけよ! そもそも、なんであんたがひとり暮らしか訊くわけ?」

「え、ただの世間話じゃない?」

「そんなわけないでしょ。ひとり暮らしって答えたら、一緒にエレベーター乗ってきて、送るふりして玄関まで来てたはず。それで、ドア開けた途端にあんたを突き飛ばしてレイプする気だったのよ」

「あ、あんた……心が真っ黒だね」

夫は見知らぬ他人に対する警戒心が強い。昔は、一緒に買い物に行くたびに、ブティックの店内で平気でバッグを置きっぱなしにする私によく驚いていた。「置き引きされたらどうするのよ!」というのが彼の言い分だが、私は置き引きなんかに会ったことがない。香港はどうだか知らんが、日本は安全だよ。

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