女王様のご生還 VOL.263 中村うさぎ

心が平安である事を「幸せ」と定義するなら、現在の私は人生で最も幸せであると言えるかもしれない。

昔みたいにお金があるわけでもないし、何なら足も手も不自由だったりするのだが、それはあくまで「不便」なのであって「不幸」だとは感じていない。

「不便=不幸」では決してないのである。

歩けなくなった当初はひどい絶望感と無力感に打ちのめされたものの、10年近く経ったらすっかり慣れて、「ま、しゃーない」と思えるようになった。

五体満足で金を湯水のごとく使っていた頃は確かに楽しかったけど、愉しさの分だけ苦しさもあったし、少なくとも今のようにのほほんとした日々は送っていなかった。

とはいえ、あの頃のジェットコースターみたいな毎日だって不幸だったとは思わない。

当時は平穏無事な幸せより、ヒリヒリするような刺激的な享楽が最優先だったのだ。



一番つらかったのは、やりたい事がなくなって抜け殻みたいになっていた時期だ。

50代前半くらいの頃だと思う。

目的もなく茫漠たる砂漠をただただ彷徨っているような、味気ない日々が続いた。

もう自分は燃えつきたんだなと思った。

買い物だのホストだの整形だのデリヘルだのをやっていた頃は地獄と天国を往ったり来たりしてる気分だったが、そこから抜け出してみると目の前には果てしなく広がる砂漠しかなかったという、その発見は生きる気力を挫くに充分であった。

もう私の人生には何も残ってない。

生きてる意味なんてあるだろうか?

と、そんな風に腐っていたら、突然、病に倒れて本当に死にかけてしまった。

そのまま死ねたらそれはそれで本望だったが、人生はそんなに甘くない。

私は普通に生き返ってしまい、以後は不自由な身体で生きる羽目になる。

やりたい事がなくなって砂漠のような日々だと思ってたら、今度はやりたい事もやりたくない事もひっくるめて何ひとつできない人間になってしまったのだ。

あれは何に例えればいいんだろう。

灼熱の炎に身を焦がす地獄でもなく、乾いた心で当てもなくふらふらと彷徨う砂漠でもなく、ただただ暗い穴の底で遠い空を見上げて「もう二度と戻れないのだ」と実感する深い深い絶望感。

そうだ、あれは私の人生のブラックホールだ。

心も身体もぎゅうっと圧縮されて硬い小さな塊となり、大いなる虚無に吸い込まれて消えていくような感覚。

あれに比べれば地獄なんてかわいいもんだ。



もしかすると私は、あのままブラックホールに吸い込まれて「無」になっていたかもしれない。

そうなってもおかしくなかった。

でも、どういうわけだかそうならず、あれから10年近く経った今では縁側でお茶を啜りながらのんべんだらりと日々を過ごしているかのごとき怠惰な老人になり、あろうことかその平穏を愛しすらしているのである。

何事もなく過ぎる毎日が幸せだなんて、昔の私なら絶対に思わなかった。

いったい私に何が起きたというのだ。

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