今日のテーマはパーソナル・ステイトメント。留学を考えていない方にも、パーソナル・ステイトメントを書いてみることは、絶対的なお勧め。留学というその時々の目標を超えて、「自分」という人間を見直す機会になる。
1. そして、最後のパーソナルステイトメント
先日まで、バタバタの留学準備を書いていたが、最後に、残してしまっていたパーソナル・ステイトメントに取り掛かる。パーソナル・ステイメントというのは、就職面接でいうところの、志望動機とちょっと似ているかな?アメリカの大学を受験するつもりがない人でも、パーソナル・ステイトメントを書いてみることを、私はぜひお勧めしたい。パーソナル・ステイトメントを書く中で、「自分の軸」が見えてくる。
パーソナル・ステイトメントの内容は、主に3つである。
・今まで何をしてきたか
・どうしてこの学校を志望するのか
・卒業後は、何をしていきたいか
Good Personal Statement: 過去の自分、未来の自分、そしてその二つをつなぐのが、この大学で学ぶこと。これを矛盾なく、美しく、ひとつの物語として伝えること。
Great Personal Statement: この物語の向こうに、自分よりも大きな何かを描き出すことができること。これがGreat Personal Statementの条件だと、イェール大学の副学長は説く。
「14歳の時に移民してきた。英語は一言も分からなかった。そして、いくつもの困難にぶつかり、差別に苦しみながら、それでも私はアメリカのフェアネスを信じている。」そういうパーソナル・ステイトメントを書いた場合、これは自分自身の物語であるだけではなくて、アメリカに暮らすマイノリティの物語という自分よりも大きなものを描き出すことになる。
だけどね、誰もがこんないい「ネタ」を持っているわけではない。私も、なんかドラマチックなことが、自分の人生に起きなかったかなって、何度も見直したけど、大したことは起きていなかった。
まあ、企業法務を手掛けてきたような弁護士(←私)の場合には、そんなに斬新なパーソナル・ステイトメントを書けるわけではなくて、パーソナル・ステイトメントによって合否が決まるということもないとは言われる。けれども、これは自分自身の軸に迫るトレーニングになる。
2. パーソナル・ステイトメントを通して見えてきたもの
よく誤解されるのは、日本では謙遜が美徳とされるけど、アメリカでは自分のいいところを鼻高々に自慢したほうがいいという話。これはこれで事実なのだろうが、だからって、根拠もなく「俺ってすごい」ということが尊ばれるわけではない。
それよりも、「自分は何者であるか」を矛盾なく説明することができていて、そして「自分が何者であるか」を突き詰めて考えていることが、高い評価を受けるのではないかと、私は思う。パーソナル・ステイトメントというのは、まさにそういう力が求めらえているのだ。
だから、そういう視点で、自分の人生を見直すでしょ?
どうして、僕は法律の仕事を志したんだろう。あっそうか、あのとき、ああいう出来事があって「人権」について考えたんだった。で、今、僕は何をしてるんだっけ?そうだ、「企業法務」をしてるんだ。そう、僕は、今、被害者ではなくて企業の側に立っている。あのとき、自分の人生を賭けようと思った「人権」とはかけ離れた仕事をしている、こんな具合である。
自分は、この世で何をしたいと思っていたのだろう。自分の思った道をまっすぐ生きてこられたんだろうか。このパーソナル・ステイトメントを通じて、自分と向き合うことができるので、進学だけではなく、転職しようと思っている人、特に何も思っていない人にも、「パーソナル・ステイトメントを書いてみる」のはお勧めで会える。
3. 私自身のパーソナル・ステイトメント
私自身のパーソナル・ステイトメントについて明かすのは、とても恥ずかしい。だけど、ここまで書いたのだから、せっかくだから少し述べておきたい。
パーソナル・ステイトメントを書きながら、私は気づいたのだ。そうか、私はいつも男性社会の中で生きてきたんだなって。
私が学生だったころ、東京大学法学部の女性教授は二人しかいなかった。
財務省の同期として入省したのは、私を除いてもう一人の女性だけ。
大手弁護士事務所だってパートナーとなって、出世する女性は限られている。
そうか、私の生きてきた社会って、男性社会だったんだな、こう気づいたことがその後の私の選択に大きな影響を与えることになる。