女王様のご生還 VOL.201 中村うさぎ

私がデリヘルをやったきっかけは、最初から「男たちと仲直りしたい」と思ったからではなく、ただ単に美容整形の成果を試したかっただけだ。

新しく手に入れた顔と身体に男たちが金を払うかどうかを知りたかった。

「自分を商品にするなんて」と眉を顰めた人も少なからずいたが、そもそも自分は「消費されるもの」だと思っている。

自分の恥を赤裸々に書いた書物が人々に消費されるというのは、要するにこの私自身が消費されているということだ。

読者は私の生き方や言動を楽しみ、笑い、共感あるいは反発しつつ、私という人間を貪り食う。

自分の人生を売る商売と性的行為を売る商売との間に貴賤があるとも思えない。

我々はどのみち、他者にとっての消費物だ。

むしろ見ず知らずの人々に私という人間を消費されるより、目の前にいて顔も見える相手に消費された方がなんぼかマシではないか、とすら思う。

ほんとにね、会ったこともない人間からわかったような顔されてあれこれ言われる苦痛と苛立ちに比べたら、対面で不快な思いをする方が百倍マシだ。

少なくとも言い返せる程度には対等だからね(笑)。



で、セックスワークに大した抵抗感もなく、ただただ好奇心と自己確認欲求からデリヘルをやってみることにした。

そこらへんの詳しい話は拙著「私という病」に書いているので、そちらを読んでいただければと思う。

最初はもちろん緊張した。

いざ指名されたとして自分はちゃんとスマタやフェラができるのかとか(一応研修は受けたけど、スマタはいまいちコツが掴めなかったしフェラは昔から不得手だ)、コミュ障の自分がお客さんを楽しませられるのかとか、課題は山積みだった。

しかも、私は「男嫌い」なのである。

知らない男に身体に触られたりしてメンタルは大丈夫なのか?

若い頃は電車で痴漢に遭うたびに恐怖と屈辱感と嫌悪感に身の毛もよだつ思いをした。

デリヘルは痴漢と違って双方合意のうえで性的行為を行うわけだから、「許可してないのに勝手に身体をまさぐられる」という屈辱感はないと思うが、生理的嫌悪感の方はどうなんだろう?

粗暴な客に暴力的に扱われるかもしれない恐怖もあるし、「俺は金払ってんだぞ」と立場の優位を利用して威張り散らす客にかつて受けたセクハラやパワハラを思い出して私がブチキレる可能性も充分にあり得る。

マジで私、この仕事できるのか?



そんな不安を抱えつつ「ま、やってみなきゃわからんわな」と腹を括って、人生初のセックスワークに飛び込んだ。

そして、意外な事実を知ったのであった。

まず、お客の大半は暴力や居丈高なマウンティングとは程遠く、きわめて優しく丁寧で紳士的だったし、なんならこちらが申し訳なく思うほど気を遣ってくれた。

風俗嬢に対するあからさまな侮蔑も感じなかったし、なんというか、みんな「初対面の相手に対する配慮」みたいなものがきちんとあって、ある意味、社会人としての教育が行き届いてるんだなぁと感心させられたくらいだ。

むしろ、後に経験した水商売の方が、酔客の無礼と横暴に手を焼いたものだ。



なんだ、意外と普通じゃないか。

デリヘルをやると公表した時、「風俗嬢なんて男の性欲の捌け口になるって事だよ?つまり人間として扱われず、便所として扱われるんだ。覚悟はあるのか?」と私に尋ねた男性もいたが、実際のところ、私を便所や道具として扱う客はひとりもいなかった。

もちろん心の中でどう思っていたかは知る由もないが、そんなのは日常生活でも同じじゃないか。

私に反感や嫌悪感があってもおくびにも出さず愛想よく接する編集者を何十人も相手にしてきたから、表面上あからさまに不快な態度を取られない限り、相手が腹の底で何を思っていようと私は痛くも痒くもない。

大事なのは最低限の礼儀を守るという事だ。

そしてデリヘルの客たちは、その最低限を守っていた。

「本番やらせろ」とねだる客は何人かいたが、きっぱり断るとおとなしく引き下がり、決して強要はしなかった。

おそらく強要すれば怖いお兄さんが現れると恐れていたのだろうが、とりあえず「本番強要はルール違反」なのを客たちはみんな共有して従っていたのだ。

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