女王様のご生還 VOL.148 中村うさぎ

夜の10時ごろ、体調悪いし仕事が詰んでるしでキィーッとなってる時に父の携帯から電話があった。

「もしもし?」

「ああ、典子? お母さんがどうしてもおまえに話があるっていうから代わるぞ」

「うん……」



母は相変わらずボケボケで、

「え? 誰?」

「誰って典子じゃないか。おまえが話したいって言うから電話したんだよ」

「え? 何なの?」

などと電話の向こうでひと悶着あった末に、ようやく不機嫌そうな声で電話に出た。

「もしもし、典子なの?」

「うん」

「あなた、全然家に帰って来ないから心配したのよ! そしたら、お父さんが言うには、あなた結婚したんですって!?」

「え? うん、20年も前にね」

「20年!!!」

母は驚愕の声をあげ、

「そんな大事なこと、なんで教えてくれないのよ!?」

「教えたよ、当時。だから知ってるはずだけど?」

「聞いてないわよ! 結婚式にも呼ばれてないし!」

「結婚式は挙げてないよ。友達呼んでパーティやっただけ」

「結婚したなんてちっとも知らなかった! 旦那さんにも会わせてくれないし!」

「いや、会ってるから! もう何度も!」

「会ってないわよ! ど。どんな人なの!?」



オカマの香港人だよ! あんた、めっちゃ嫌がってたじゃん!

と、電話口で叫びそうになったが、無駄な口論しても仕方ないので、とりあえず謝ることにした。

「ごめんね、知らせたつもりだったし、会わせたと思ってた」

「会ってないわ! 結婚したことも知らなかった!」



やれやれ。

認知症患者には反論せずに話を合わせるべしとは聞いているが、私にはどうにもそれが難しい。

自分は悪くないのに謝るのも嫌だが、何を言われても「そうね、そうね、おっしゃるとおり」的な子供をあやすような対応をするのもなんだかひどく失礼な気がするのだ。

そこには「優しさ」はあるかもしれないが「誠意」はない。

本気で悪いと思ってないのに謝るのも、向こうが忘れていると承知でそれを指摘せずに話を適当に合わせるのも、じつに不誠実な態度ではないか。

認知症対応だろうと社交辞令だろうと、自分が本気で思ってもいない言葉を口にしてその場を流すのは、私にしてみれば「相手を半人前扱いしている」ことになり、きわめて無礼な行為なのだ。

仕方なくそれをやらされると自己嫌悪と罪悪感でいっぱいになる。



そこで私は無駄と知りつつ抵抗を試みた。

「でもさ、お母さん。私はお母さんに結婚を隠したりしないし、夫にもちゃんと合わせたつもりだよ? もうずいぶん前の話だから、お母さんが忘れちゃったんじゃない?」

「そんなわけないでしょ!」

「はあ、そうですか」

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