女王様のご生還 VOL.92 中村うさぎ

ちょっと話は変わるが、最近、SNSやネトゲで生まれる「闇人格」について、いろいろ考えている。

ネット世界はヴァーチャルで匿名性も高いので、どんな人間にもなれる。

私のような還暦ババアが若い男のふりをすることも可能だし、性別や年齢だけでなく、リアルではなりたくてもなれないまったくの別人格にもなれるのだ。



我々は「リアルの自分」にかなり制約されて生きている。

孤島でたったひとりで生きていくなら気分次第でどんな人間になろうが自由だけれど、社会の中で生きていく以上はある程度の一貫性が要求されるし、周囲に溶け込むための仮面も必要となってくる。

そして、一度仮面をつけたら、その仮面をなかなか外すこともできなくなる。

その仮面が自分の顔にぺったりと貼りついて、それが本来の「私」だと勘違いするようにもなるだろう。

人間のアイデンティティとは、かくも曖昧なものである。



そもそも、「仮面の私」の下に「本当の私」がいる、という感覚も信用できない。

仮面の下の私は「本当の私」なのか?

それもまた、別の仮面ではないのか?

ラッキョウの皮を剥くように、仮面を剥いでも剥いでも、別の仮面が現れるだけで、「本当の私」などには到達できないのではないか?



我々の脳は、見たいものしか見ず、記憶したいものしか記憶せず、語りたいものしか言語化しない。

我々は自分の脳が検閲した「私」だけを自分自身だと思い込み、脳が都合よく編集した物語を「私の現実」として認識しているに過ぎないのだ。

そうやって検閲され校正され編集された「私の物語」の裏側には、「もうひとつの私の物語」がいくつも埋まっているに違いない。

では、この「検閲者」とは何者なのか?

それは我々の「ナルシシズム」だと私は考えている。



私は、私のナルシシズムが作り上げた「私」である。

見たいものしか見ず、記憶したいものしか記憶せず、語りたいものしか言語化せずに、巧妙に作り上げた「私」だ。

そこから漏れた「私」は、無意識の闇の中に封印されている。

だが、彼女は消えたわけではない。

おそらく、私の知らない闇の中に住んでいる。

彼女は私の脳が見なかったものを見、記憶しなかったものを記憶し、言語化しなかった物語を、その闇の中で今も書き続けているのではないか。

私が仮面を剥いでも剥いでも見つけられなかった「本当の私」は、その彼女ではないのか。



私はぜひとも彼女の「物語」を知りたい。

だが、それはおそらく不可能だろう。

私の脳内検閲システムが働いている限り私は彼女に会えないし、脳内検閲システムが機能しなくなった時には私は既に理性を失っている。

彼女が目の前に立ち現れて封印された物語を語り始めたとしても、私はもう自分と彼女の見分けもつかなくなっている。

今の私が「私」だと思っている存在が彼女を認識することは、一生できないのである。

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