女王様のご生還 VOL.130 中村うさぎ

私が父や母のことをあまり褒めて書かないので、親子仲が悪かったと思う読者もいると思う。

が、べつに仲が悪かったわけではない。

確かに父と私の対立は多々あったが、虐待されたわけでもないし、独立してからは干渉されたり抑圧されたりというのはなかった。

母は世間体を気にする小心者ではあったが支配的な人間ではなかったので、成人した頃には彼女の価値観や世界観から完全に脱していたと思う。



他人の人生相談などを受けたりする機会に、むしろ私は、人がいかに母親から支配されているかに驚いてしまう。

世の中には、既に30代になった娘にあれこれ指図し、その人生を思いのままに操ろうとする母親が少なくないようだ。

結婚や恋愛、仕事、ライフスタイルにいちいち口を出して、中には娘を全否定することに愉悦を見出しているかのような母親もいる。

独立したらもう他人なんだから、娘は自己責任で生きていけばいいと思うのだが、こういう母親たちはなんで支配したがるのだろう?

娘を自分の分身と考えているのだろうか?

自分と同じ世界観と価値観を持ち、同じように考え行動しなければ気が済まないのか?

「娘の幸福のため」と彼女たちは本気で思っているようだが、娘には自分の幸福を自分で決める権利がある。

彼女が自分と同じ生き方を「幸福」と感じるかどうかはわからないではないか。



私は子を産んだことがないので、我が子に対する情愛の強さというものがビンと来ない。

だが、私に対して支配的ではなかった母が私を愛してなかったかというと、そんな風には思わない。

彼女は自分の価値観とは全然違う生き方を選んだ娘に失望や怒りを覚え、最初の頃は文句を言ったりもしていたが、私に反論されるとしぶしぶ口を噤んだ。

自分の言うことにおとなしく従う娘ではないとわかっていたからだ。

それは「尊重」というより「諦め」だったのだろうが、結果的には私を自由にさせてくれたので感謝している。

これが支配的な母親だったら激しい感情のぶつかり合いは避けられなかっただろう。



多くの人々が「母性愛」を称賛する。

我が子のためなら自己犠牲も厭わないその愛を崇高なものとして称えるが、身体を張って我が子を守るのは人間に限った行動ではない。

雛を守るために命懸けで蛇に食ってかかる母鳥や、安全な場所で卵を産み入念に孵化の用意を整えてから力尽きて死ぬ母蛸などの姿をドキュメンタリーで観てきた。

献身的かつ感動的な行為ではあるが、彼女らの動機は「愛」というより「本能」だろう。

そして、動物と人間の大きな違いは、子どもが成長して単独行動できるようになると彼女たちは自ら進んで子どもたちを巣から追い払い、場合によっては我が子と縄張り争いを始める点だ。

「そこが畜生なんだよ」と思う人もいるだろうけど、私は逆に子どもの自立を阻む人間の母親の方が歪んでいると思う。

それはもう本能から逸脱して完全にナルシシズムに支配された行為である。

子どもを自分の一部とみなして、いつまでも「個」として扱えない。

「我が子の幸せのため」という母性愛を旗印に自己愛や支配欲を満たしているだけだ。



30歳を過ぎても母親の支配から脱せない娘たちを見ていると、正直、気味が悪くなる。

彼女たちはたぶん、死ぬまで「母」に支配されるのだろう。

もちろん、いい年をして母親に支配されてる男たちもたくさんいるだろうが、男は私に人生相談などしないので、私がこの目で見てきたのはもっぱら「母に囚われた娘たち」である。

彼女たちはべつに暴力で支配されてきたわけではない。

「愛」という名の抑圧で支配されてきたのだ。

自分のことを案じてあれやこれやと口を出す母親の干渉を「愛」だと思っている。

しかも母子ともどもにこの「愛」を盲目的に信仰しているのだから始末に負えない。

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