女王様のご生還 VOL.214 中村うさぎ

ずっと昔の話だが、とある小説家と雑誌の仕事で対談した際に「あなたは小説に命を懸けていますか?」と訊かれた。

小説に命を懸ける気などさらさらなかったので「いいえ」と正直に答えたところ、こいつはダメだなという顔をされたうえに「僕は命を懸けていますよ」とドヤ顔で言われたので、申し訳ないが笑いそうになってしまった。

人が何に命を懸けようが勝手なので、彼が小説に命を懸けると宣言したのを嘲るつもりはない。

ただ、そのドヤ顔が面白かったのだ。

何かに命を懸けるのってそんなに偉いの?



私はすぐに「命を懸ける」みたいな事を言う人がどうにも信用できない。

そういうのを凄い事だと思い込んでいて、なおかつ他人にそれを吹聴して英雄気取りになっている、そのダダ漏れのナルシシズムに疑惑を抱いてしまうのだ。

その手のナルシシズムは非常に危険じゃないかと感じてしまう。

お国のために命を懸ける者こそ英雄であるといった風潮になったら、こういう人たちは率先して危険な戦場に行き、大勢殺してドヤ顔しそうな気がするからだ。

小説に命を懸けてる分には誰にも迷惑をかけないから勝手にどうぞという感じだが、そもそも「命を懸ける」という行為自体を崇拝する価値観に危うさを感じる。



とあるフェミニストの人が対談本の中でしきりに「命懸けで」という言葉を繰り返していたのを読んだ時も思わず苦笑してしまった。

世の中の人はどうしてそんなに命を懸ける事を崇高だと思えるのだろう?

キリスト教でも殉教者を聖人と崇め奉るが、それはまるで信者たちに「信仰のために命を捨てろ」と強要しているようで、何か不気味なものを感じる私である。

そういう聖人たちの陰には、酷い拷問を受けて信仰を捨てた人たちが大勢いるだろうけど、じゃあその人たちは卑怯者なのか?

江戸時代に日本に布教に来た神父たちの中には、信者たちが捕まって酷い目に遭っているのを見て心を痛め、彼らに「踏み絵を踏んでもいい。神は許してくれる」と諭した人がいたそうだ。

彼の気持ちはよくわかる。

バチカンは彼を許さないかもしれないが、私は彼を支持するね。

本当に神がいるなら、踏み絵を踏んでしまった人たちも天国に受け容れるだろう。

自分のために苦しめられた人々を罰するなんて、そんな神はこっちから願い下げだよ。

同様に、国のために命を捨てろなんて言う国家も願い下げだ。

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