女王様のご生還 VOL.179 中村うさぎ

この仕事を定職にしてからずっと、私は「幸せになっちゃいけない」と思っていた。

幸せになってそこに定住してしまうと書けなくなるんじゃないかと恐れていたのだ。

私が文章を書いているのは、人生に不満があったり疑問があったりして、いつも何かを探し求めているからだ。

でも「安住の地」なんか見つけてしまって不満も疑問も持たなくなったら、きっと私は一行も書けなくなる。

私の不安は的中した。

年を取って欲も体力も減退し、変化のない毎日に不満も疑問も持たなくなって、のほほんとした幸せに定住してしまった私は、何も書く事がなくなった。



だが、若い頃に予想していたような絶望はない。

幸せになるのを恐れていた頃は「書けなくなったら私は終わり」だと思っていたが、いざ書けなくなってみると「べつに書けなくなっても私は私だし、いいんじゃない?」と思うようになったからだ。

そう、昔の私は「書けなくなったら私には価値がなくなる」と思い込んでいた。

確かに商品価値はなくなるが、しかし、商品価値だけが私のすべてというわけではなかろう。

あの当時、何故、「書けない私には価値がない」なんて思っていたのか、つくづく不思議である。



思えば私をずっと突き動かしてきた「何者かになりたい」という欲求も、要するに「自分に付加価値をつけたい」という願望だったのだろう。

「何らかの価値をつけなければ自分は何者でもない」と考えていたのだ。

でもそれは私だけじゃなく、みんなそうだよね?

人は「肩書」がないと落ち着かない。

肩書は会社の役職でもいいし、母親とか主婦という役割でもいいし、とにかく自分の社会的立ち位置を説明するのに必要なものだ。

しかしそんなものはあくまで役割に過ぎず、我々自身の本質ではない。

これといった役割がないからと言って、我々の存在が消失するわけでもない。

なのに我々は他者が納得する「何者か」になりたがるのだ。



これはたぶん人間が「社会的動物」として進化してきたからだ。

社会の中で自分のポジションが確定しないと、たちまち自分を「無価値」だと感じてしまうように育てられているからだ。

つまり、自分の価値や存在意義は「社会」や「他者」が決めるものだと無意識に思っている。

だけど、本当はそんなことはないのである。

野良猫なんかたった一匹で生きているが、自分が無価値だなんて考えたこともないだろう。

飼い猫だって、自分の存在意義などで悩んだりしない。

「価値」などというものに拘泥しているのは人間だけだ。

そして「価値」なんてものに囚われているから、人は自分と他者を比べて劣等感に苛まれたり自己嫌悪に陥ったり、はたまた他者の目を気にして不自由な生き方を自分に強いたりして苦しむのだ。

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