先日、精神科医の先生とお食事をする機会があって、そこでいろいろと考えさせられた。
先生は依存症をメインに取り扱っている方で、私のような買い物依存症や浪費癖の他にも摂食障害やアルコール依存やDVなどの患者も大勢扱っている。
その中で、「痴漢」という言葉が出て来て、「えっ?」と思った。
痴漢も依存症なのか――っ!!!
私は今まで痴漢のことを、女を人間とも思ってないケダモノだと考えていた。
女を見たら欲情するのは、そりゃまぁ、どの男だって同じだし、それ自体を責める気はない。
でも、欲情したからって触っていいことにはならないし、それを許すとレイプも容認することになる。
痴漢やレイプという行為がどれだけ女たちを傷つけ屈辱感を与えるのか、やつらは一度じっくりと学ぶべきだと思っていたのだ。
つまり、これは教育の問題である、と。
ところが先生のお話によると、どうやら痴漢も依存症の一種であるらしい。
痴漢をしてはいけないことはわかっているのに、目の前に女性がいると触らずにいられない。自分の欲望を制御できない。
かつて私が罪悪感や自己嫌悪を抱えつつも買い物やホスト通いをどうしても止められなかったように、彼らもまた苦しみながらもそんな自分をどうすることもできない、というのか。
だとしたら……諸君、私は彼らを責めるのではなく、彼らを理解しようと努めるべきではないか?
何故なら、彼らは私と同じ穴のムジナだからだ。
もちろん買い物依存症と痴漢では、他人にかける迷惑の度合いが違う。
買い物は借金で自分が苦しむだけだが、痴漢にはれっきとした被害者が存在する。
自分もかつて痴漢にひどく嫌な思いをさせられたから、「依存症だから仕方ない」などと言うつもりは毛頭ない。
だが、それでも、自分をコントロールできない彼らの苦しみが私には少しだけわかる気がするのだ。
だってだって、本当に自分を抑えられないんだもん!
あの地獄のような自己嫌悪を彼らもまた味わっているのだとしたら、許せないながらもいくばくかの同情を禁じ得ない私である。
私は欲望自体を否定するのは間違っていると考える。
たとえば小児性愛者の場合、彼らが子どもに欲情してしまうことを責めても、何も解決しないからだ。
その性癖は同性愛と同様、本人には如何ともしがたいものとして容認し、あとは彼らが実際の行動に出ないようどうやって制御するかを論議すべきであろう。
今でこそある程度容認されている同性愛だって、昔は精神病院などで無理やり矯正させようとする人々によって、ひどい迫害を受けたのだ。
ペドフィリア(小児性愛者)たちを彼らの二の舞にしていいとは、私にはどうしても思えない。
その性癖を否定することは、その人自体を否定することだと思うのである。
どんな人間も、他人を全否定していいはずがない。
人は性癖ではなく、行動で裁かれるべきだろう。
となると、痴漢行為を止められない人々は、どのように治療されるのだろうか?
先生によると「電車に乗せない」ことだという。
まずは職場にできるだけ近い場所に住み、電車を使わずに通勤するよう心がける。
買い物に行ったり飲みに出かけるにしても、電車ではなくタクシーを使うとか、そうやって誘惑を避けるということなのだろう。
お金はかかるが、犯罪をおかすよりはマシである。