女王様のご生還 VOL.207 中村うさぎ

3週間ほど前のこのコラムで「何故、性的な表現は女性を傷つけるとみんな思い込んでいるのか? 女性だってセックスするし、女子同士では性的な話題を平気でしているにもかかわらず、だ。この疑問を掘り下げていかない限り、単なる「不快」が正当性を持ち続けてしまうと私は思う。そんなわけで、次回はこの件について考えたいと思います」などと書いておきながら、すっかり忘れて2週続けて別の話を書いてしまった事に先週気づいた(汗)。

すみません、今回はそれについて書きます。



「性的な表現は女性を傷つける」という思い込みは、「セクハラ」という概念が社会に浸透してから顕著になったように思う。

この「セクハラ」概念が登場した時、私は本当に嬉しかったし心の底から喝采を送ったものだ。

というのも、以前にも述べたように私の世代には「セクハラ」概念が存在しなかったため、仕事にセックスを持ち込む男たちや酔ったふりやふざけたふりをして身体を触ってくるような男たちが少なからずいたからである。

そのたびに動揺と怒りと屈辱感を味わっていたため、それらすべてが「セクハラ」として告発されるのは大歓迎だと思った。

相手の了承もなく他人の身体に勝手に触ったり、「仕事欲しかったらパンツ脱げ」などという理不尽な要求は許されるべきではない。

これは今でも同じ考えだ。



が、その後「セクハラ」概念がどんどんその範囲を広げていき、ついには「今日の服、素敵だね」などと女性の服装や髪型を褒めるのもセクハラだと言われるようになってから、「んん?」と首を傾げるようになった。

女性だって男性のネクタイを褒めたりするじゃないか。

べつに相手が異性だからって性的関心で褒めているのではなく、普通に同性同士でも「その服いいじゃん」「髪切ったんだ、似合うね」とか褒め合うのに、なんで異性の服や髪型を褒めたらセクハラなんだろう?

「君も女なんだからさ、もっと女らしく髪の毛伸ばしたら?」などというジェンダー押しつけ型の大きなお世話アドバイスはともかく、単に「センスいいな」と思ったから褒めただけの行為がセクハラと言われると、なんだか過剰反応みたいで逆に恥ずかしいような気がした。



「とにかく職場では男女を意識したような言動は慎め」という考え方はわかる。

とかく「女のくせに」とか「これだから女は」的な言い方をされてきた私としては、「せめて仕事の場では男女差をあげつらわないで欲しい」と真剣に願っていたし、そういう扱い方を不当だと感じていたからだ。

でも、だからって職場で服を褒められても「こいつ、私が女だからって服を褒めやがって」などとは思わない。

日頃からセンスいいなと思っている相手から服を褒められるのは、相手が男だろうと女だろうとシンプルに嬉しい。

それだけのことだ。



まぁ、褒め言葉にもいろいろあるから「今日の服セクシーだね」なんて言われたらムッとするのはわかる気がする。

べつにセクシーなつもりでその服を選んだわけじゃないのに、勝手に性的な匂いを嗅ぎつけてニヤニヤされるのは確かに不快である。

ましてや「それって僕へのサービス?」なんて勘違いされた日にゃ「ちげーよ!」とハリセンでしばきたくなる。

女性が短いスカート穿いたりボディラインの出る服を着るのは、べつに男に対するサービスじゃないからね。

でも、単に「その服いいね」という褒め言葉なら、普通にセンスを褒めているだけでそれ以上の下心はないと思う。

女性だって男性のネクタイやスーツを褒める時、いちいち性的な下心は持ってないでしょ(持ってる場合もあるかもだけど)。



このように自分の感じ方を基準に考えてみると、「褒めてくれるのはいいけど、セクシーとか色っぽいとか性的なニュアンスの褒め言葉はなんか嫌だな」という気持ちは確かに私にもある。

単なる上司や同僚が私を性的対象として扱い始めると、その先に「酔った勢いで尻を触る」とか「飲み会の帰りにホテルに誘われる」などといった不快な事態が待ち受ける可能性があり得るので、これまでの体験からつい警戒してしまうのだ。

今の私ならホテルに誘われても「アホか」で済ませられるが、若い頃はやはり非常に気まずかったし相手に対する不信感や失望感で気分が沈んだものだ。

おそらく「服装や髪型を褒めるのもセクハラ」という発想は、そういった「性的ニュアンスを含む褒め言葉」に対する忌避感から生まれたのだと思う。

つまり、「私を女として見ないでね」という警報なのだ。



うむ、わかるよ、わかる。

だが、あくまでもこれは個人的な「不快」の問題だと私は思うのだ。

「セクシーだね」という褒め言葉に過去のセクハラ体験を思い出して警戒するのは、私個人の感じ方の問題だ。

まったく気にせず喜んでその褒め言葉を受け取る女性もいるだろうし、「セクシーだね」と褒めた男性が全員不埒な行為に及ぶとは思ってない。

ただ、私が勝手に警戒し、その男性を見る目が少し変わるだけだ。

そんなことは性的な事柄に限らず、日常でいくらでもあるだろう。

たとえば私は男性の大声がものすごく苦手なのだが、これはたぶん子供の頃に父親から怒鳴られ殴られた体験を思い出して必要以上に脅えてしまうせいだ。

脅えるのが悔しいから脅えたくないのだが、やはり心は反応してしまう。

これがいわゆる「過去のトラウマで心が傷つく」というやつなのだろうが、だからといって私は「大声禁止令」を発令してもらおうとは考えない。

地声の大きい人もいるし、つい声を荒げてしまう場面もあるだろうし、ましてや酒席などではみんな声が大きくなりがちなものだ。

私がいくら男性の大声に過剰反応してしまうからって、「トラウマ」や「心の痛み」を盾に他人に制限を加える筋合いはなかろう。

そんな事言い出したら「黒い服にトラウマがあるので黒服禁止令」だの「納豆にトラウマがあるので納豆禁止令」など、ありとあらゆる禁止令が幅を利かせてしまうではないか。

黒い服を着た人に日常的にイジメを受けた人もいるだろうし、嫌いな納豆を無理やり口に押し込む親に苦しめられた記憶を持つ者もいるだろうからね。

そんな人たちが「Me Too」的に声を上げ始めたら、キリがない。

「このトラウマには禁止令を発令するけど、あんたのトラウマは却下」などと、誰が境界線を引けるだろう?



そんなわけで、たいていの人は何かしらトラウマはあってもそれを個人的な事柄として受け止め、それら苦手な事象を自分なりに密かにやり過ごす方法を編み出して、極力他者の自由を侵さずに社会生活を営もうと努力しているのだと思う。

誰にとっても迷惑で不快極まりない行為なら禁止令の発令も致し方ないが、そこまでの普遍性がないのであれば、他人に強制するのではなく自分なりの対処法を考えるのが大人の作法というものだろう。

ところが、こと「性的なトラウマ」に関しては、一個人の不快が重大な最優先事項として受け止められ、有無を言わせぬ強制力が発現する。

私はこれが不思議で仕方ないのだ。

もちろん「レイプされた過去があるので私のいる場所でレイプネタはやめて欲しい」という訴えには「そうかそうか、つらいよね」と同意したくなるが(そもそもレイプを自慢話や笑い話にするようなやつは女性全員からブーイングされるけどねw)、その範囲がどんどん拡大されて「下ネタ禁止令」や「エロ表現禁止令」になっていき、しかもそれが「当然の権利であり社会的正義である」と解釈される現象には違和感を禁じ得ない。

ねぇ、本当にそれって当然の権利なの?

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