女王様のご生還 VOL.232 中村うさぎ

「うさぎ図書館」の「ハウス・ジャック・ビルト」について書いた原稿で、「表現はどこまでの自由を許されるか?」という問いに触れた。

たとえば、ジャックが建てた「死体の家」は許されるのか?



私の個人的意見を述べれば、死体で作った表現物は不謹慎ではあるものの、それはあくまで「不謹慎」という曖昧な道徳観の問題であり、法的に禁止したり制裁を加えたりすべきものではない。

ただし、そのために表現者が殺人を犯したのであれば(ジャックのように)、その表現者は殺人罪で罰せられるべきであろう。

表現が罪なのではなく、殺人が罪なのだ。

そこは明瞭に分けて考えるのが筋ではないか?



では、「死体の芸術」自体はありだろうか?

美術館などの公共の場所に死体を展示するなんてとんでもない、という意見も当然あると思うが、それなら博物館に展示されている死体はどうなのだ?

人体をスライスした標本やミイラやホルマリン漬けの胎児などは、これまでにも展示された事がある。

それらが物議を醸したという話は特に聞いた覚えがないが、死者の尊厳やら子供への影響などを考えれば、立派に「不謹慎」かつ「不道徳」なのではないか?

昔のミイラなんて、本人の了解も遺族の許可も得てないしね(苦笑)。

そこには死者の尊厳もプライバシーもまったく感じられないんだけど、それでいいの?



博物館の死体標本やミイラの展示が許されるのであれば、死体で作った表現物もOKなのではないか?

標本やミイラには学術的価値があるからいいのだ、と反論するのなら、学術的価値があれば他人の死体に何をしてもいいのか、という問題が浮上する。

また、学術的価値が理由で死体の展示が許されるのなら、芸術的価値も理由になり得るではないか、という理屈も当然ながら生じるわけだ。 

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