「中学受験のイロハ」中学受験?高校受験?どちらを選べばよいのか

我が子に中学受験をさせるべきかどうか。

初めての子が生まれて8年も経つと、決断を迫られるのが都会の家族である。東京では、クラスの半分以上が受験するという小学校も珍しくない。「まあ、もうちょっと先だろう」と思っていたら、小3の夏にもなると保護者特に母親たちの間では、するのかしないのか、どこの塾が良いかというような話があふれかえる。聞く人がギョッとすることが嬉しくて、煽るように中学受験情報を語るスピーカーママもいる。田舎育ちで地元の県立進学高校を出て東京の大学に出てきたというような親にとっては、巻き込まれていくような感覚になるという。

そういう保護者にとっては、まずは「中学受験は本当にすべきなのか」の決断こそが悩みだろう。長年塾業界に身を置いてきた者として、入門編を書いてみたい。道しるべになれば幸いである。

小3の秋ともなると、クラスで次々に受験を宣言して学習塾を決める子が出てくる。その際、まず選択肢は何があるかというと、①私立国立系中学受験、②公立一貫中学受験、③高校受験(小学生時代の受験はしない)、の3つである。10年前との大きな違いは、都立の頑張りなどで②の存在感がどんどん大きくなっていることである。

結論から言うと、どの道を選択しても大丈夫なのだが、簡潔にそれぞれの特徴を記しておきたい。筑駒だ灘だ桜蔭だ開成だと有名校が名を連ねる①は、いかにも厳しい世界のように見えるだろう。確かに頂上は本当に甘くない戦いで、子どもには酷に感じることもある。しかし、私自身そこを勝ち抜く子たちをたくさん育ててきたが、基本的には主体的に充実感を感じて受験勉強に立ち向かっている子ばかりで、直前など神々しいくらいの美しさでもある。受験校も非常にたくさん存在しているし、それぞれの実力なりに誇りを持って入学している。一番の特徴は、「こういう訓練をしていけば解ける」と見えている問題が大半なので、塾に行く意味もあるし、「努力できる子」ならば見通しが立つということである。

やっかいなのは②だ。ある意味では21世紀型学力を先取りするとも言えるのだが、受験用の知識やノウハウというよりは、日常生活の中での観察眼や問題意識や好奇心を問う、科目横断型問題が主で、いわば「普段の力」を問うものが中心である。例えば「レインボーブリッジの入り口はなぜループ構造になっているのか」ということに、答えなければならない。個人的には大好きだし、大いにこの方向性の問題を追求してもらいたいが、大変なのは受験生である。倍率も高い上に、ここを訓練すればある力が確実につくというものが①に比べて見えにくい。だから、そもそも入りにくいよということを前提として、こういう素敵な問題群で本当の中身を育てるという意図を明確に持っているというような話ならば、そういう決断もありではあろう。

③については、大器晩成系には向いている。例えば早生まれで体の発育もみんなに比べると遅いというような子が典型だが、落ち着かない・幼児性が強い・計画性がない、などの保護者にとっては「困った子」でも、中3ともなると確実にみんな大人になる。なまじ促成栽培の「やらされ勉強」をやってないので、大らかさが特徴的で、さあ入試勉強となったときに、主体的に自分事として集中できる。正直、首都圏で中高一貫私立進学校に入った場合と、公立中から県立一番校などに回った場合では、大学合格の年度だけは一年くらいは差がつくことは覚悟した方がよいが、30歳になったときにその差が何であろう。そういう長期的な視点があれば、落ち着いて5・6年生を英語の勉強や大好きなスポーツやお稽古事に打ち込み人間としての厚みを育てることもできる。

そうい総合的な視点で、選択してほしい。

ある年度の小学生たちを思い出した。開成を始め中高一貫私立に行った子たちは、合格のときから中2くらいまでは一目置かれるような存在であったが、自分が高校入試を意識して集中して学びはじめそして高校に合格すると、それぞれお互いのことは忘れて生活している感じになる。そして、20歳になって集めてみると現役合格もいれば浪人もいるが、結局地頭通りの大学で再会している。

いずれにせよ、エピソードとなる事例は無数に存在するが、「この子には絶対これという正解」はない。あるのは各家庭の方針と決断のみ。だから情報をたくさん集めたあとは、やるならやる、やらないならやらないで夫婦一致団結してブレずにいてほしい。そして、合格そのものではなく社会人になってからの活躍を想像しながら、家族で歩んでいってほしい。