親たちは、難関校合格がわが子にもたらすかもしれない不幸も、イメージしておいてください。

それにしても、どうして誰もかれも「難関校」を目指すんだろうな?

どんな難関中学・高校にも、必ず「学年最下位(最下層)」の生徒というのが、存在する。300人中300位の子。でも、そういう子でも、「難関校に合格した子」なのだ。合格したときは、「すごいわねぇ、頭いいのねぇ、頑張ったのねぇ」とほめそやされたに違いない。(元tweet)

しかし、受かってからは地獄。D・カーネギーの言うところの「自己重要感」は皆無。みなに白い目で見られ、自尊心はズタズタ。「こんなはずじゃなかった」。

子どもたちが目指すべきは「難関校」ではなく、「自分の能力よりワンランク上の学校」なのだ。(元tweet

ツーランク、スリーランクも上の学校に「受かってしまった」がために地獄を見ている子を、よく知っている。受かればいいというものではないのだ。受験というのは。スポーツの試合とは違う。優勝して終わりではない。本当の戦いはそこから始まる。(元tweet

そういう俯瞰的な目を子どもが持つのは無理。じゃあ誰が持つか。親に決まっている。ところが、親のほうがむしろ近視眼的になりやすいのが、中学受験。世間ではまもなく中学受験ドラマも始まるわけだが。ほんと気をつけてもらいたい。

わが子に最もふさわしいのは、難関校ではないのではないか。合格してからわが子が本当に幸せになれる学校はどこなのか。この問いと向き合うことが、親の役目だ。(元tweet

そういう私は『難関校に合格する子の国語読解力』などという本も書いているが。私は「難関校~」などという陳腐で大げさなタイトルはつけたくなかった。ただ、より陳腐で大げさな「東大~」にしたいという編集者の意向を取り下げてもらう代わりに「難関校」で我慢したという経緯がある。

まあ、今思えば『難関校に合格する子の国語読解力』を読んでわが塾に入ってきた高校生が実際に東大に入ったから、「東大」でもよかったような気もするけど(笑)。

ちなみに、「難関校に入ればいいというものではない」というのは、とりあえず中高までだろう。大学では、300人中300位、などという一律の順位付けは出てこないから、あまり「成績」がよくなくとも自尊心がズタズタになることも少ない。

中・高受験、とりわけ中学受験においては、とにかく親がアツくなりすぎないようにしてほしい。親の「現在の自尊心」を満たすためだけに、子どもの「未来の自尊心」をボロボロにしないように。(元tweet

(この記事は、2017/1/6にアップし、11万7千viewに到達したトゥギャりのコピーです)