女王様のご生還 VOL.212 中村うさぎ

麻雀をやってると、自分の性格がよくわかる。

私は麻雀が下手だし弱いし、友人たちとやると常に最下位だ。

その理由は要するに「バカだから」なんだけど、バカにもいろんな種類がある。

私の場合、勝ち負けにまったく関心がなくなり、とにかく自分の目指す手を作る事に夢中になってしまう。

よって誰がリーチかけようとお構いなし、振り込んで大敗を喫する危険があろうとも自分の捨てたい牌を躊躇なく切って「ロン!」とか言われるのがオチである。

自分でも本当にバカだと思うし、反省してちゃんと勝負しようと自分に言い聞かせるのだが、いざ始まるとまたしても自分の手に没頭してしまう。



私はよく「他人にどう思われようと関係ないわ」的な発言をするが、自分の麻雀にもこの傾向が大きく影響していると思う。

つまり、私には他者がいないのだ。

いや、いるんだけれども、他者の存在より自分の世界の構築に関心があり、その結果、勝負に負けようが失敗してバカにされようが痛くも痒くもない。

麻雀で最下位になっても悔しくも何ともなくて、「あはは、またビリだぁ~」などと笑っている。

お金を賭けてても「しょうがないなぁ」とボヤきつつ支払うが、べつに惜しいとも悔しいとも思ってなくて(だって自業自得だもん)、それより「もうちょっとで役満だったぜ」というワクワク感の余韻に浸ってニヤニヤしてる始末だ。



こんな風に言うと「中村は勝ちにこだわらないのか」と思われそうだが、なんのなんの、私は生粋の負けず嫌いだ。

ただ、どういうわけか、それがギャンブルやゲームで発動しないだけである。

じゃあどこで発動するかというと、たとえば何か面白いギャグを人が言った時に「くっそー! それ、私が言いたかったー!」などと地団駄踏んだりする事は多々ある。

我ながらものすごくくだらない競争心だ。

ラノベ作家の頃は売り上げや年収などにもこだわっていたが、到底勝てない相手が何人もいたので、そこはあっさりと諦めがついた。

ただ、内心「私の方が面白いのに、なんでこいつが売れてんだろ」と思ってる相手に対しては、強烈な悔しさと嫉妬をメラメラと燃やしていた。



そうか、なるほど。

私は自分が認めてない相手に負けるのが悔しいのだな。

でも麻雀は違う。

べつに相手を認めてるとか認めてないとかそういうのは一切関係なく、誰に負けても悔しくない。

というのも、私にとって麻雀の勝敗は、ゲームの勝敗と違うところにある気がするのだ。

たとえば誰かがリーチを賭けた時、みんなは警戒して自分の手を崩してでも大負けしないように努める。

だが私にとっては、振り込んで負けるのを恐れて降りる事の方が「負け」なのだ。

だから絶対に降りない。

どうしようもないクズの手牌なら降りるが、ワクワクするような手を作っている最中なら、それを他人のリーチなんかで邪魔されたくない。

「リーチの圧力なんぞに屈するかよ」というゲームの勝敗とはまったくベクトルの違う負けず嫌いが発動して、結果的に振り込んで大敗を喫するものの「ゲームに負けたが勝負に勝った」的な自己満の爽快感に包まれて悦に入っているわけである。



私が他人の評価や批判に傷つかないのは、たぶん、自著を褒められるとか貶されるとかとは全然別の次元で勝負しているからなのだろう。

世間が私を非難しようとも、自分がOKだと思った事は躊躇なくやるし、言いたい事は言う。

間違っていれば指摘してくれればいい。

ただ、批判に耳は傾けても、最終的に自分を評価するのは自分自身だ。

もちろん、私の企図などまったく理解してないお門違いの非難などにはまったく揺るがない。

相手の愚鈍な「常識」とやらにウンザリはするものの、世間なんてそういうもんだと思う事にしている。

自分の常識が世界の常識だと思い込んでるような人々とは一生わかり合えなくて結構だ。



そういう意味では「私には他者がいない」というのも、あながち間違いではないだろう。

他者より自分の基準の方が重要だからだ。

だってこれは私の人生で、他人に危害を加えない限り、何をしようが何を考えようが勝手でしょ。

私の人生を私の基準で構築して何が悪いの?

この続きを見るには

(1,345文字)

¥250(税込)

購入して続きを読む